【黄金の国】「山ヶ野金山」は思いのほか広かった!【ジパング】(3)

全国裏探訪取材班は、鹿児島県霧島市に来ている。ここには薩摩藩の直轄の山ヶ野金山が存在した。金山の周りには全盛期には約2万人が住んでいた街を現在調査中である。

墓場から金山を覗いてみた。あの奥の山には永野金山が存在するが、またそれは別の回をお楽しみに。では町を歩いてみることにする。

こちらの家も無人。住人は娘や息子のところに行ったか、この世にいないか、はたまた施設から出られていないか。ゾンビ化しているか。住宅の壁の劣化から状況から長い間不在になっているようだ。

家の右横には鉄の釜のようなものがあった。よく見てみると、「五右衛門風呂」のようにも見える。水が貯まるということは穴が空いていない可能性が高いのだから使えると思うが、玄関の横そのまま堂々と外設置とは珍しい。

もうしばらく人の気配はないようだ。これが人がいなくなった限界集落の建物の終焉であろう。やがて建物の耐久性が落ち、崩れて自然に戻っていくのだろう。取材班は隣県宮崎のこことかでそんな家を数多くみてきた。

「山神社」

細長い路地を歩くと、山神社というものがあった。この金山の神様だったよう。当然無病息災や安全祈願だけでなく、一攫千金なのか何を願っていたのだろうか。

本殿はとても綺麗な朱色でメンテナンスされているようだ。周りとのコントラストが美しい。

地元住民によると、以前この神社はこの辺りの氏神様として大切に祀られ多くの人々のイベント会場であったそうだ。しかしながら、子ども達はやがて成長して地元を出ていき、ここに残った住民は段々高齢化していく。

その結果、ほとんどの人がこの神社にゆかりのある人達は減っていき、訪問者がほとんどいない寂れた神社になってしまった。積まれている硬貨はホコリがまみれで、ご覧の通り錆びていた。恐らくここを管理している宮司などはおらず、地元有志の管理すら怪しい。

 

宮の中は野ざらしになっており、塗装されていない部分は湿気や紫外線、カビなどで痛みが激しいよう。この神社を出資したであろう有志達の名前が刻まれていた。この状況からすると、もう当時の有志達は誰一人残ってないだろう。

鳥居の大きさが少し違うように思える。周りの草木は手入れがされており、旗もかかげているので、この頃まではまだまだ現役だったのだろうな。彼らの神に対する願いは本当にこのような衰退する結末だったのだろうか。いや、違うに違いない。他のシナリオもきっと描けたはず。

右下に藁葺きの屋根が見える。明治か昭和中期までの写真なのだろうか。田畑が広がっているように見えるが、恐らく、閉山後は人が急激に減り、その後落ち着き、この村は農業に変えたのだろう。

一時期は賑わいを見せた神社もこうやって限界集落とともにゆっくりと廃れてまた自然に返っていく。裏探訪の読者はよくご存知だと思うが、こういった神社も移転をしにくい特性から昔の手がかりを得られる一つのツールである。次回はいよいよ遊郭跡から当時の資料を探しに行きます。お楽しみに。

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(2020)