全国裏探訪取材班は、島根県松江市にある「竹島資料室」にやってきた。ここには現在世界最悪のキチ●イ国家に不法占拠されている島根県隠岐の島町の「竹島」の各種資料を展示している。前回までは竹島が元々は江戸時代から日本人が認知し支配していた事実を見てきた。
「竹島 ~日本の領土であることを学ぶ~」「竹嶋之絵図」
さて前回のおさらいから、こちらの竹嶋之絵図は1696年(元禄9年)に鳥取藩の小谷伊兵衛から幕府の求めに応じて提出されたものだ。ということは、当時の幕府は現在の竹島については認識していたことになる。それにしても、位置関係fが正しく記載されているのはさすが。18世紀になっても水車も作れないゴ民族とは大きな違いだなw
「韓国側が「根拠」とする古地図について」
さて、日本側は一次資料で1618年(元和4年)から認知されていたのが証明されたのだが、一応公平に朝鮮/韓国側が主張する根拠を見ていきましょうかね。まぁ奴らを公平とか平等とかで扱うと危険ですけどw
「新増東国輿地勝覧(1531年)」
まず始めは新増東国輿地勝覧という朝鮮側の資料から。お、これは1531年の資料なので日本の認知した1618年よりも古いんですけど、よくよく地図をご覧いただきたい。鬱陵島の左に「干山島」という島があるのがお分かりだろうか。奴らはこれを竹島と主張しているらしい・・いやいや実際の位置関係を見ていこう。
もし仮に「干山島」が奴らの言う竹島だと仮定しても、は新増東国輿地勝覧の資料では鬱陵島の西(左)の朝鮮半島との間に書かれているのがわかる。実際の竹島は鬱陵島の遥か東(右)にあって鬱陵島よりもはるかに小さいのでこれは根拠にはならない。これはサルでもわかるだろ。それが理解できないとすれば朝鮮人はサル以下なのだろうか。
「鬱陵島図形(1711年)」
新増東国輿地勝覧では干山島は地図の西(左)に描かれていたんですけど、18世紀なると朝鮮でも東側に干山島を書かれた地図が現れた。
ほらこれが朴錫昌っていう朝鮮人が当時の鬱陵島を記載した地図なんですけど、真横に「所謂于山島」「海長竹田」と書かれているのがお分かりだろうか。ちなみに、地図に書かれている海長竹とは竹の一種で女竹というものらしい。
ちなみに現在の干山島こと竹島(日本の竹島ではない)をGoogleマップで検索してみると、いやいや女竹だらけだwしかも、日本の竹島には女竹は無い。これでさすがに干山島を日本の竹島と言い張るのは難しい。
この貧弱な根拠でこの干山島を「これは鬱陵島の東に書かれているのは竹島ニダ!」と言い張ると鳥取のコナソ君に「あれれ~~?おかしいぞ~~?!?!??w」と一瞬で朝鮮人はぶった切られて論破されるだろw
「青邱図(1834年)」
しかもこの干山島というのは朝鮮でもまれにみる優秀な地図作成者であり金正浩(キム・ジョンホ)の「鬱陵島図」にも鬱陵島のすぐ東に「干山」との記述がある。しかも、この地図には距離の目盛りもついており正確に鬱陵島との距離がわかる。稀な朝鮮人の秀才だったが、竹島の件では韓国目線では余計な仕事をしている。もちろん日本目線ではオウンゴールGJ!なんですけどねw
「金正浩(キム・ジョンホ)」
以前は優秀な地図作成者として伊能忠敬のように尊敬されていたのかもしれないが、竹島問題以降もしかしたら今頃、金正浩の墓に唾がかけられまくっていたりしてw都合が悪くなったら死人も墓まで荒らす。朝鮮あるあるですw
「大韓全図(1899年)」
その後の近代1899年には大韓全図、1908年の「鬱陵島実測図」の資料でもすぐ東にあるしね。朝鮮併合は1910年なんで、もしここで領有の事実があるならこの近代の地図に記載がないとおかしい。
「隠岐の島町 竹島」
ということで、朝鮮/韓国側のアホ過ぎる根拠でロジック的には自滅したんですけど、次回も近代以降の流れを見ていきましょうかね。
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(2020)