全国裏探訪取材班は、日本三大遊廓とも五大遊郭ともいわれる「丸山遊郭」の現在を見て廻っている。もうこの地に丸山遊廓ができてから400年近くなっている。現代ではコンクリジャングルになっているんですけど、いまだに遊郭の雰囲気を色濃く感じることができる。
丸山遊廓にある料亭でもひときわ大きな花月樓も、周りを高いマンションなどに囲まれているが現在も営業中だ。
「長崎県料理業環境衛生同業組合」「長崎市料理業組合」「丸山町自治会事務所」
このような看板からも往時は色町だったことを少しだけ読み取れる。そもそも、住宅地や官公庁街なんかにはないですもんね。
「長崎丸山 華街之碑」
ここには華街の案内板の跡がある。その説明の中には背後の石垣は遊郭の結界として機能していたのだという。確かに遊郭には堀や壁が結界としてよく利用されていますけど、丸山遊廓ではこの高低差や崖の地形を周囲との隔絶に利用していた。
確かにこの石垣を見ると嘆きの壁のように見えなくはないな。石垣の上に壁があればかなり高くなるし。ほら大阪の飛田なんかも高低差ありますし。
ここなんかも遊郭物件だろうか。売春防止法で遊郭からの赤線が潰えたといってもまだまだ雰囲気があるな。1955年(昭和30年)に発刊された全国女性街ガイドには例にもれず丸山の記述もあるので少し見ていこうか。
「長崎 浦上天主堂のピカドン跡などを見物して遊ぶ気にならぬが、街も繁華街もすっかり復興、それに名にし負う丸山遊廓がある。(略)長崎特有の石段坂の両側に、山遊楼、松鶴楼、金波楼など大層高楼のならんでいるさまは、古典的な点で肥後熊本の二本木と好一対。大店の泊り二千五百円から。(略)」
「赤線は丸山のほか、市内対岸の稲佐山の南麓にある稲佐〈山里線の稲佐下車〉と、出雲町〈市内南の大浦線の終点〉、同じく端れの戸町などにあるが、遊ぶならやはり丸山である。(続)」どうやら当時から丸山がピカ一らしい。
遊ぶなら丸山というのは今でも生きているらしく、長崎丸山華街之碑の前にはラブホがあったりもする。遊郭妓樓→転業旅館→ラブホ。こんな感じの沿革なんですかね。
そのラブホを少し北上するとこんな感じの長屋もある。一見普通のアパート的なものなんですけど、よ~く見ていくと・・
玄関の両脇には丸柱があったり、足元には豆タイルのような装飾もあったり。これも当時の箱なんですかね。
現在では、煤けた物件で色も褪せまくっていてレトロというかオンボロなんですけど、劣化しにくい装飾は今でも往時の雰囲気を残している。
この写真は現在の丸山公園に近い遊郭入口周辺なんですけど、オンボロのアパートのような物件がある。全国女性街ガイドにも「最近、勃興してきたのは丸山の入口周辺に密集したハモニカ長屋の飲み屋郡。一軒に二人平均の女がいて百軒近い盛況。(続)」とある。
文中に出てくるハモニカ長屋というのは今は見当たらないのだが、当時からありそうなスナックや理容店がある。それにしても、一軒に二人平均の女がいて百軒近い盛況。ってかつての横浜のココみたいな箱だったんでしょうか。
「スナック 千秋」
「ショート三百円、泊り千円。この青線街で、東京では古いが「湖畔の宿が」の長崎弁替唄が流行っている。現地女〈わりに美人多し〉から現地語で教えて貰うといい心の記憶になる。」
遊廓からの赤線だけだと思ったんですけど、全国女性街ガイドには戦後は青線的なものがあったらしい。今でもスナックの残骸もあったりするし格好の遊び場だったらしい。
今回当時の資料と共にざっくり「丸山遊廓」を見てきたんですけど、いかがだっただろうか。見ての通り上空から見ると単なる市街地なんですけど、文献を読みながら地上を歩くと400年近い色町の空気を感じることができる。
「福砂屋本店」
ちなみに、丸山遊廓の入り口にはあのカステラで有名な福砂屋本店もあるので、長崎観光の際は是非どうぞ。お土産は遊郭だけに〇病、いや、カステラをどうぞw
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(2020)