【検番も】日本三大遊廓「丸山遊郭」訪問記【あるよ!】(3)

 

全国裏探訪取材班は、長崎にある日本三大遊廓とも五大遊郭ともいわれる「丸山遊郭」へとやってきた。ここは1642年(寛永19年)に完成し、長崎の当時の様子を現在に知らせた古文書、延宝版「長崎土産」にはこのような記述がある。

「長崎丸山町遊郭」(大正時代)

「丸山町遊女屋五十九軒遊女三百三十五人内太夫六十九人、寄合町遊女屋四十四軒遊女四百三十一人内太夫五十八人」というものだ。江戸時代にもかかわらずこの規模は確かにすごいものだ。

「長崎検番」「丸山町 4」

そして、上にあるこの絵葉書の通りには長崎検番もあって、今でもその姿を残している。物件こそ立ち代っており当時の代物ではないが、しっかりと「長崎検番」と書かれた行燈を提げているのは日本三大遊廓を自認する故か。

三大遊廓と言われるほど華やかだった当時の記録も今にも残っているので、1930年(昭和5年)発刊の全国遊郭案内の長崎市丸山遊廓の欄をじっくりと見ていこう。

「思案橋」

「長崎市丸山遊廓 は長崎市丸山町ち寄合町に在つて、長崎線長崎驛から市内電車、思案橋終點へ下車すれば宜しい。此の思案橋を渡ると直ぐ石灰町で、直ぐ丸山町に續いて居る。(続)」

なるほど。確かに位置関係も現在と同じのようだ。現在はもう思案“橋”は存在しないが昭和初期にはまだあったのか。しかも当時は思案橋が市電の終点だった。

「(続)「江戸の女郎に長崎の衣装を着せて京都の揚屋で遊び度い」と昔から謠はれて、四大遊郭の中でも、長崎の衣装は特に華美であつたものらしく、又遊び方も可成豪奢を極めた處らしい。(略)」

当時の江戸や京の大遊郭というのはそれぞれ特徴があり、江戸ならビジュアル、京都なら風情、そしてこの長崎なら衣装がよかったのか。当時の人々はそれぞれの良いとこ取りをしたかったようだ。人間の欲というのは当時から変わらんな。

「(略)松平長七郎、頼山陽、平賀源内、蜀山人、吉田松陰、高杉晋作、坂本龍馬、井上馨、大隈重信等は何れも此處の美妓の酌する魔酒に陶酔した人々だった。(続)」

 

「(続)支那人と日本遊女の戀。蘭人と日本傾城の情話、等々數々の甘いローマンスは皆茲で醸されたのだつた。(続)」

確かに、江戸時代の様子の絵を見ても、明らかに日本人ではない紳士姿や、支那人っぽい人も描かれていたりもする。なるほど。これが当時の国際都市の大人の社交場の様子か。

「(続)丸山遊廓は市の東方に當つて、一寸した高臺に成つて居るので、付近の人々は「山」と呼んで居る。(略)」

「(略)目下貸座敷は十二軒あつて、娼妓は約二百人居る。店は寫眞制と陰店制の兩制であつて、娼妓は全部居稼ぎ制である。(略)」

「遊興は時間制又は仕切制で費用は一時間遊びが一圓二三十錢位、宵から翌朝迄の一泊は四圓見當で、臺の物は別である(了)」

戦前の全国遊郭案内の資料を読んで街を歩くだけで、大まかな当時の様子を想像できる。次回は、もう少し近年の資料から「丸山遊廓」を見ていきましょうかね。

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(2020)