全国裏探訪取材班は、和歌山市へとやってきた。和歌山市内と言えば、トルコ看板でおなじみのココや、かつての青線私娼窟だった関西五大新地番外地のココなんかがあるちょっとアレな都市だったりもするんですすよね。そんな和歌山ンなんですけど和歌山のマイナーな方の玄関口「和歌山市駅」裏にオンボロのバラックがあるとのタレコミがあったのでやってきた。
「和歌山市駅」
こちらが東側から和歌山市駅を見た写真だ。タレコミにあったバラック街というのは駅から東へ数分歩いた線路の近くにあるらしい。
その情報をもとに取材班は駅東に延びる煤けた商店街もどきを進んでいく。時より見るズタボロのトタンで覆われた物件がDQNの芸術と相まって何とも香ばしい。
「はらビジネス旅館」
こんな安宿もあったり。3300円で泊まれるのは昨今のインフレの世界に対抗しているようだ。って壁には公明党のポスターが。学会員なら500円引きとかあるんですかね?
「カラオケ・スナック コンパ」
ビジネス旅館の裏にはスナックもあるな。日中だからまだ陰気臭さはないのだが、実際夜来てみると怪しさが半端ない。実は取材班の一人は和歌山出身が居るのだが、そもそもこの辺ってそんなに良いところじゃないらしい。
実はこの辺は戦後は浮浪者のたまり場になっていたり、戦後すぐに和歌山競輪場も設置されたりで、なかなかのDEEPスポットだったらしい。その取材員の祖父の話なのだが「ここらは終わった後はあちゃらの人らがおおてなぁ~。てきゃらはあれやさけ、もうなんぎしちゃ~ったんやいしょ(和歌山弁)」と語ってくれた。
現代語訳すると「この辺の戦後は、中国人や朝鮮人が多くてねぇ。彼らは頭おかしいから、もうかなり大変だったんだよ!」こんな感じだ。やはりそんな場所でしたか。
「杉の井」
で、現在88歳のその祖父が言うには、夜になると若い女から化粧の濃い女までがこの辺の街頭に立っており、競輪で買った衆を手招きしていて、連れ込み旅館にそのままinという流れだったのだという。なるほどな。
そして取材班はさらに南海本線に沿って東へ進んでいくと、県道15号新和歌浦梅原線の高架をくぐっていくことになる。
県道の高架をくぐり、南海本線を北に渡るともうそのバラックのあるエリアへと到着することになる。
「市駅裏」
ちなみに、和歌山市民は、南海和歌山市駅の事を‟市駅(しえき)”。JR和歌山駅の事を‟東(ひがし)”と言ったりする。なので、電柱の表札は市駅裏となるわけか。ちなみに、JR和歌山駅をなぜ東と言うかは昔のJR和歌山駅を東和歌山駅と言っていた時期があるからだ。割とどーでもいい知識です、ハイ。
「祥永荘」
するとさっそくオンボロのアパートがあった。これはもう半世紀以上ここに立っているのではないだろうか。ふ、古すぎる。台風対策でしょうけど窓に張られたテープが空襲の対策に見えてしまう。
で、全体感をつかむため、いったん取材班は南海本線側に戻ってみる。するとありましたよバラック住宅群。タレコミにあったバラックとはここだったのか。なかなかのオンボロ具合いだな。
さて、次回はいよいよ和歌山市駅横の「バラック」住宅群を見ていきますよ~。
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(2020)