全国裏探訪取材班は、佐賀市今宿町「室園遊郭」に来ている。ここは明治中期から戦後まで佐賀の遊郭として栄えてきたんですけど、いまだにこの遊郭跡の大部分をかつて任侠一家だった上瀧の敷地が占められている。
現在の「上瀧」の敷地内の様子。かなり巨大な鉄筋コンクリート造の住宅が見える。さすが元ヤクザの家だな。
この上瀧の敷地はかなり広くて母屋や庭も健在なのだが、実際母屋が建っているのは遊郭を取り囲んでいる水路の外になっている。敷地内の水路は暗渠化されているのだが、やはりソッチ系の人でも遊郭内に母屋を建てていないのは穢れからなんですかね。
地元名士K氏によると、この上瀧というのは戦前まで「上瀧一家」として、佐賀一円を支配下に納めていた。戦後になり上瀧一家は山口組による九州侵攻を足止めした。当時は破竹の勢いだった山口組に土を付けたとして一目を置かれることになる。
ちなみに遊郭の北側には地上七階建ての大きな会社があるのだが、この会社は「株式会社上滝建設」(旧株式会社上瀧組)。K氏によると戦後は渡世の組織として暗躍する一方、二代目上滝英氏が裏稼業を止め上滝建設をて設立したらしい。
「株式会社上滝建設」
「上瀧英翁像 義徹」
会社の正門の前には二代目上瀧英の銅像が誇らしげに飾られている。義徹。海千山千の元任侠一家らしい銘だな。
ちなみにこの株式会社上滝建設は近年は、ソッチ系の活動は皆無らしく ISO9001やISO14001認証を取得するなど実業に精を出しているらしい。ただ、アグレッシブすぎて複数の公共工事の案件なんかで贈賄行為なんかで指名停止等の処分を受けて居たりもするらしい。その辺は元極道譲りか。
ちなみにこの室園遊郭のすぐそばには、安普請のアパートが並んでいる。かなりオンボロな市営住宅か公団住宅かそんなあたりか。
かなりズタボロな物件であることがお分かりいただけるだろうか。明らかに、隙間風ぴゅーぴゅーの物件だ。長屋に8戸ぐらい世帯が入居している物件もあったりする。
ふと振り返ると、さっきの上瀧の母屋がオンボロのアパートの向こうに見える。これが脈々と引き継がれる貧富の差っていうやつか。
隣を老婆が横を通り過ぎてアパートに吸い込まれる。腰の曲がり顔のシワからおそらく80歳から90歳くらいだろうか。もしかすると、赤線当時からここに住んでいた女の生き残りだろうか。年齢の割に背が高いので昔はかなりスタイルよかったんでしょうね。
ちなみに1955年(昭和30年)発刊の全国女性街ガイドの佐賀の記述には「(略)赤線は、東佐賀に近い今宿橋を渡った下今宿(中略)色艶のない里である。(略)」という記述がある。やはりK氏が言っていたように戦後も赤線として継続していたようだな。ちなみにこの全国女性街ガイドには廃線となった佐賀線の東佐賀駅の記述がある。
取材班が室園遊郭界隈を徘徊していたら場違いだっやのか。丸坊主のヤクザ風の中年男がこちら側を警戒していた。正直あんまり治安はよくなさそうだ。さて、佐賀市内まで退散しますか・・・・。時給2万円のK氏。お付き合いいただきありがとうございましたw
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(2020)