【地元名士と】佐賀の遊郭「室園遊郭」とはどういうところだったのか。【巡る!】(1)

全国裏探訪取材班は、佐賀にやってきた。まぁ佐賀ってそんな大きな町でもないしそんなメジャーでもないんですけど結構いい町なんですよね。水路が多くて稲作も盛ん、焼き物もあったり風光明媚な場所なのだと思う。まぁそんな街にも当然ながら遊郭はあるわけで今回は佐賀の「室園遊郭」を見ていこうと思っている。

「長崎街道」

市街地の東西には長崎街道が通っており、町並みも古い町並みが自然に残っている。そんな佐賀も取材班のテリトリー内。今回もさっそく佐賀の裏スポットを巡って行こうと思うのですが、我が取材班の中でも佐賀にはエクストラ取材員がいるのだが、その取材員が我々を案内していただいた。

その取材員は取材班の中で一番のブルジョア。K氏は佐賀空港までベンツのEクラスで迎えに来てくれたのだが、実はこれは買い物用の下駄代わりの自家用車。自宅は1000坪以上で高級車がずらりとあり、佐賀県ではかなりの名士で。不動産もかなり持ってるK氏が現地を案内してくれた。

「佐賀市」

「あけぼの橋」

取材班は佐賀市内のある場所にやってきた。住所で言えば「佐賀県佐賀市今宿町」という場所だ。ちなみにこの南北に走る大通りは、かつて国鉄佐賀線が走っていたところだ。国鉄佐賀線は1931年(昭和6年)開業、1987年(昭和62年)に廃止された佐賀駅から、鹿児島本線瀬高駅まで連絡していた路線だ。K氏いわく鉄道現役時代はここに盛り土で軌道が敷かれていたらしい。

〈GoogleMapから〉

これがGoogleMapの衛星写真でみたかつての室園遊郭だ。写真左にある南北に通ている道路がかつての国鉄佐賀線。そしてその右側に水路がありその内側に遊郭がったのだという。

佐賀市内から見て、その盛り土の外側に今回訪れる「室園遊郭」があった。なるほど。当時は佐賀市街地側からは鉄道の盛り土が目隠しになっていたわけか。

室園遊郭の中へと入って行きましょうかね。するとこのような小橋がある。かつての遊郭への入り口と見て間違えないだろうな。

上から見るとこんな感じ。この小橋は、外界と遊郭をつないでいる橋でいることがわかる。

 

「室園橋」

「大正九年七月新工」

橋の欄干には室園橋と書かれており、現在でも供用されている。竣工から100年が経過し長年の汚れで文字が見えずらいが、なぜか欄干の文字がきれいに拭かれており文字が見やすくなっている。ほかのマニアが確認したんですかね。

「むろそのばし」

ちなみに雑学だが、橋の親柱に書かれる橋の名称が漢字の場合は橋の入り口ひらがなの場合が橋の出口ということなので、これはやはり遊郭に向かっていく感じでかけられて橋ということになる。

「赤星」「太平樓」

 

「山遊樓」「大吉」「三玉樓」

「三星樓」「萬春樓」

「明月本店」「常盤屋」「・野」

小橋の親柱にはかつてあった妓楼の屋号が刻まれている。ここに刻まれてるものだけでもかなりの数の妓楼があったっぽいな。

さて、取材班は室園橋を渡り旧「室園遊郭」の中に入って行きましょうかね。今日は眠いのでここまで。

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(2020)