全国裏探訪取材班は、和歌山県の「湯浅町」へとやってきた。ここにはなんと、1万人の人口になんと4つもの遊里があるのだという。さっそく謎に満ちた遊郭を取り調べしていきたいと思う。まずは前回同様この地図をご覧いただこうか。
「湯浅MPA」
毎度おなじみの取材班の1分で作った手作り地図がこちらw色分けしてあるところにそれそれ遊ぶスポットがあったらしい。前回は駅南の赤のエリアを見てきた。
「新地」と電信柱に書かれたその場所は、10年以上前地元民に取り調べしたところ確かに遊郭だったのだという。戦後の話なんで正確には赤線らしい。
たしかに遊郭/赤線らしく、このような縦格子が残っていたりもする。前回訪問してから10年以上経っているがほとんど変わらないなぁ。
かすかに「旅館」の文字が見えるような気がするんですけど、赤線廃止後は例のごとく転業旅館になったんですかね。
「警ら箱 湯浅警察署」
そして、壁には警ら箱と書かれた箱が。これは何に使うんでしょうか・・・
ほらほら、この感じいかがだろうか。当時の雰囲気を色濃く残しているのではないだろうか。時よりきこえる列車の音がまたいい叙情を醸し出す。
これはちょうど、物件の裏手側。おお。こっちも結構残ってんな。
もう一度、表の通りに戻ろう。こっちももうすでに死にそうな物件があるな。もうこの先長くはなさそう。てか南海トラフあったら瞬殺だと思う。手前左は新しく建てられた民家だ。
ちなみにこの写真は2008年(平成20年)に取材班の一人が撮影したもの現在は上のように新しい民家が建てられているが、当時はこのように明らかにソッチ系の物件だった。
「於弥寿」
当時の玄関には‟於弥寿”と書かれている。これは何と読むのだろうか。教えて!林先生!w
そして、この物件には丸窓もあり。あれから10年ほど経過して、無くなったと思われるのはこの物件ぐらいだろうか。以外にかなり残ってるな。
消火器もこの通り木箱に入っている。レトロチックではなく、完全なレトロ。昭和空間にタイムスリップした感覚が味わえる。
この新地はメインストリートからは、目隠しのためか1本奥まってはいるが路地はしっかりと区切られていていかにもかつての遊里といった縄張り。
そんな、新地の路地うろうろしていると、酌婦の信仰の対象になったであろう地蔵を発見。さてそこからままた更に西へと路地を進む。
オンボロの長屋なんかを見ながら進んでいきます。かなりズタボロだなぁ。
そんなズタボロな長屋を見ながら西へと進むと、今度は和風な雰囲気から一転してカフェー調の物件を発見した。
これはどんなものなのだろうか。「湯浅」の遊里の取り調べはまだまだ続くきそうだ。
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(2020・200X)