全国裏探訪取材班は、兵庫県神戸市須磨区に来ている。1997年の神戸連続児童殺傷事件友ヶ丘中学校周辺を捜索している。実際にその場所へ向かってみると、とても14歳の少年がとっさに思いついた考えとは思えない行動がわかってきた。その行動を考察していく。
この敷地の構造を見て行くと、他の門が開放されてなければ、基本的に正門を通り校舎に入っていくルートになる。少年A自身が通っていたのでその点は自分でもよくわかっていたであろうが、思いつきでこの場所を選ぶことは当時のマスコミも混乱させ、狙い通りだったのだろう。ここまで考察して行動していたのなら、少年Aは相当に計算高いことになる。
少年Aは更に被害者の口に警察に向けて「声明文」を書いている。これはカモフラージュを装った行動だが、実際にマスコミを欺いた。逮捕が14歳のだったことは日本を震撼させた。
「覇気 『自分』で壁をぶち破れ」
思春期という多感な時期に少年Aは果たして自分の壁を破った結果だったのか、それとも破れなかったのか・・・出所し成人としてこの社会に溶け込んでいるが、果たしてどうなったのか。
「地球とともに命と絆を育もう」
あれから十数年・・・本当に命に向き合い、絆を育めたのだろうか。この地域社会は凄惨な事件から何を学び取れたのか。意味深な横断幕が掲示されている。
少年Aがこの一連の事件から更生における手記である「絶歌」を2015年に発売されている。賛否両論があるのは重々承知の上で興味ある読者は是非少年Aの心の動きに触れていただきたい。
同じように日本で義務教育を受け、通常の生活環境で育っている。だがしかし、唯一彼の関心が大多数の人間と異なるのであれば、それは興味・関心と言えるだろう。この興味・関心を実現するために少年Aは若くして実行行為に及んだ。彼の中でその関心や興味を実行に移し、その探究が満足いく結果となった瞬間、脳内から快楽物質が放出された。
少年Aをサイコパスや障害者など異常者扱いする気持ちは当然理解できる。ただ、冷静に視点を変えて考えてみてほしい。彼も私達と同じ人間であり、現在服役を終えて更生して社会復帰している。社会復帰した人間を未だに糾弾するこの世の中は一度レールから外れた人間は二度とチャンスを与えないということなのか。多数決至上主義は時に間違った方向に行きがちではなかろうか。もしあなたの子供が「少年A」のようになってしまったら・・?
好奇心や探究心、興味・関心は方向性や集中が行き過ぎると時に変人扱いされる。一般と違うとみなされる方向に傾くと強烈なバッシングを受ける傾向がある。二ホンでは良きも悪きも同一性から外れると変人扱いされ、何も考えず流されている標準的な人間がよいとされる。つまり多数決は常に正義ということになる。
少年Aに肩を持つつもりは毛頭ない。しかし、この一連の事件において考察力・実行力・分析力は驚きを隠せないの事実である。絶歌の出版においても遺族に同意を取らずに出版した行動力も然りだ。
この事件で何を思い感じるかは読者の自由である。今回「神戸連続児童殺傷事件」現場を見て回った。問題はどうやって次の「少年A」を作らないかが社会の課題だ。
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(2021)