【レトロ】別府のランドマーク「別府タワー」に登ってみる!【空間】(1)

 

全国裏探訪取材班は、大分別府へと出張に来た。大分県といえば別名温泉県として有名なのは言うまでもないんですけど、温泉県の別府市にるランドマーク「別府タワー」というものがあるのがご存じだろうか。まぁそれがレトロな物件なんでちょっくら登ってみることにした。

「別府タワー」

さてさっそく見ていきましょうかね。これが今回ご紹介する別府タワーだ。九州に住んでいる読者や別府に旅行したことある読者なら一度くらいは目にしたことがあると思う。

ちなみに下から見上げるとこんな感じだ。主に下層部分とタワー部分に分かれた構造になっているのがお分かりいただけるだろうか。

そして上から見るとこんな感じ。東京タワーのように、地上から鉄骨が組まれているわけではなく、下層部分には5階建ての鉄骨鉄筋コンクリート(SRC造)の構造物があり、その上に鉄骨造(S造)が組まれている。

この別府タワーが竣工したのは今から60年以上前の1957年(昭和32年)だ。あの福井県にる自殺者の目印の東尋坊タワーよりも古い。設計は「塔博士」とも呼ばれる建築構造家、内藤多仲(ないとうたちゅう)だ。

彼は塔博士とも呼ばれる一方、「耐震構造の父」とも呼ばれ読者もよくご存じな、東京タワーはじめ、名古屋テレビ塔、通天閣、さっぽろテレビ塔、博多ポートタワーを設計した。これらの塔は内藤多仲のタワー六兄弟と言われている。

館内には当時の展示コーナーもあったのでその一部を紹介していきましょうかね。こちらは建設当時の様子。まだ基礎をしている段階なのだろうか。まだ構造物はない。

次はこちらの写真をご覧いただこう。低層階はSRC造なので、鉄骨とコンクリートが使われているのが確認できる。アーチ状のコンクリート部分も注目するところ。

現在の1階部分もこのようにアーチ状の構造物が見て取れる。開業から60年以上経過してもその躯体は変わらないようだ。

 

「32.2.27」

この写真が撮影されたのは、写真のキャプションから1957年2月27日であることがわかる。完成したのは同1957年5月10日のこと。当時別府では別府温泉観光産業大博覧会が開催されていた。

「別府温泉観光産業大博覧会資料」

この別府タワーは別府温泉観光産業大博覧会のパビリオンの中でも目玉施設として開催されていたのだが、資金繰りが間に合わず、1957年(昭和32年)3月20日の開幕には間に合わず、完成したのは5月20日閉幕の10日前だった。

「別府タワー建設中の様子」

こちらが建設中の様子なのだが、写真中央に人影が2人、右下にも1人いるのがお分かりいただけるだろうか。

だいたい高さ的にはこの辺だろうか。展望台は約55mなので彼らは地上50m位のところで命綱なしで施工していたことになる。今となっては考えられないな。

 

こちらは同時期に建設されたタワー6兄弟、東京タワーの建設時の様子。とび職が命綱なしで施工している様子だ。当時は高層建築のノウハウがなく大工などの職人が建設に従事していたらしい。

で、近くまで寄ってみてみよう。すると、鉄骨がきれいに組み上げられており、竣工時と変わらない姿がそこにはあった。鉄骨には無数の点があるのがお分かりいただけるだろうか。これはボルトではなくリベットと言われるものだ。

リベットとはこのようにネジのないボルト(T字型)のようなものだ。ボルトだとナットで固定するだけで簡単なのだが、リベットで固定するためには熱して鉄を柔らかくして鋼材に差し込み、出っ張った部分をかしめてH型にする必要がある。

すなわち、火で熱して真っ赤になった熱々のリベットを施工しているところまで持っていく必要がある。当時は地上で熱した熱々のリベットを施工現場まで放り投げていたのだという。投げるほうはまだいいが、それをキャッチする法は足場が悪いところでキャッチしなければならずとても危険な作業だったらしい。

それから後年は「アサヒビール」のネオンなどを設置するため、鉄骨のさらに外側にアルミ製の格子つけられている。

 

さらに地上60m付近はこちら。展望台の上にはエレベータの機械室などがある塔屋が設置されている。ここにもアサヒビールのロゴが4面にあるな。

さて次回は、「別府タワー」の先端まで見に行って、展望台へと昇っていきましょうかね。

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(2020)