全国裏探訪取材班は、石川県能美市「下開発町」にて苗字に関する調査をしている。ここは集落の東西南北に忠実に、苗字も「東西南北」で所在している。前回まで「南さん」、「中さん」、「北さん」と見てきたので、後は「東さん」と「西さん」を見に、「東エリア」を見て行きましょうかね
「下開発町の苗字分布のイメージ」
さて、今回も下開発町の地図からご覧いただこう。集落の一番北側を東西に通ってる道を東へと歩いて行こう。
「東」
「東エリア」に入った取材班は早速「東さん」の表札を発見した。やはりここも東西南北に忠実のようだ。
で、集落は上空からの写真を見ての通りなんですが、ざっくり四角形をしているので「北エリア」でもあり「東エリア」でもある‟北東”部分が存在するんですが、ここは「東さん」に食い込む形で「北さん」もいたりするんですよね。
取材班は下開発町に入って数十分が経過。さっきの地元民の南さん以外の若人を発見。彼女らは「東西南北」何さんなのだろうか。
あとそういえば、この下開発町は昔から苗字がそれぞれの世帯でだだ被りの為、子供が出生したときは極力名前は被らないようにつけられているのだという。そりゃそうだ。
「東」
さっきの地元民の「南さん」曰く、なんと小中学校時代なんかは東西南北の同級生が10人以上いたのだという。しかし、名前が被らないようにつけられているので特段問題は無いという。
「東」
明確に区別するため、集落内で同じ名前を付けないようにしているらしいのだが、中には他の地区から嫁いでくる場合なんかもあるのだといい、その場合は名前さえ被れば同姓同名同性になってしまう事がたまにあるのだとか。
「東」
勿論その完全同姓同名同性問題に関しては、かなり昔からあったらしくそれも別の方法で対策(?)していたそうだ。それは各家に‟屋号”という別の呼び名があるからだそうだ。ちなみに、取材班が取材した「南さん」は‟ロクリョモン”という屋号だという。
屋号は他に、‟チャヤ”、‟マンシュウ”、‟クルマヤ”、‟トウキョウ”、‟マタンド”等々様々な屋号があるので集落内では便宜上その呼び方を使うことがままあるらしい。
「東」「東」「東」「東」「東」「東」
ここの「東さん」のお宅では、家族全員に苗字が振られているので、「東」が連打されているのは少し笑えてくるw
「東エリア」を探索していると、ある事業所の様なものを発見。さすがに事業所の名称は全くい違うネーミングで登記されているだろうと思ったのだが・・・
「東工業」
はい。東工業の「東さん」でした。もう徹底してるな。面白過ぎる。
「忠魂碑」
さらに、「北エリア」にもあったのだが、この地から出征した軍人の顕彰碑こと忠魂碑があった。
「東寛盛君之碑」
ここにも「東寛盛さん」が出征して戦死した経緯が刻まれていた。東寛盛さんは1938年(昭和13年)に日中戦争に於いて戦死したのだという。さっきの戦死した「北繁雄さん」に比べて幾分戦死が早い分、忠魂碑のデザインが凝っておりしかも規模が大きく豪華なことがわかる。まだ余裕のあった時期という事か。
さて、「東西南北中」の内、残すは「西」だけになった。次回「下開発町」最終回までお付き合いください。
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(2021)