【生きたまま】日本最後の「即身仏」村上市観音寺へ参拝する。【仏に】(2)

 

全国裏探訪取材班は、日本最後の「即身仏」を参拝と見学に新潟県村上市にある「観音寺」にやってきた。即身仏と一言に行っても、単純に生きたまま土に埋められたらミイラになるわけではないようだ。それには言葉では伝えられないほどの苦行があるらしい。

「湯殿山」

寺の中に入ろうと取材班は寺の門を叩いた。下らない京都の某強欲寺でも拝観料に1000円も取られるので、即身仏を拝む貴重な体験なんて、さぞや拝観料10,000円くらい取られそうなものだが、こんな感じで参拝は自由らしい。

中に入ると、このように本堂がある。ここまでは一般の寺と変わらないのだがこの先が肝心。

いきなりだが、入って左側に佛海上人の即身仏が安置されている。佛海上人とはどのような人物だったのだろうか。少し紐解いていこう、佛海上人は、近藤庄次郎といい1828年(文政11年)に村上市に生まれた。彼は16歳の時湯殿山注蓮寺に入門し、22年に渡り仏門に入り通常の修行のほか、肉食を避け木の実や草を食べる「木食」や山中で隠居生活をする「山籠」、そして、昼夜冷熱の境なく滝壺での水行などの荒行を行なった。

「佛海上人(俗名)近藤庄次郎」

そうして、僧侶の階級を上げた佛海上人は下山後観音寺の住職となり、越後屋庄内地方に布教活動をする一方、信徒からのお布施などを用い神社仏閣の再興はもとより貧民救済のため浄財や食料を惜しげもなく寄付した。

このように佛海上人は生前も自らの利益を顧みず、民衆の心の拠り所として存在していた。そんなある日、寺に盗賊が押し入った。賽銭箱を持って逃げようとする賊を上人が呼び止めた。「その賽銭では金が少なすぎる。これを持ってゆき来なさい。」と上人は金銀を放り投げた。すると盗賊は悔いあらためたのだと言う。ヨーロッパでも、銀の燭台の話は有名だがかつて越後の片田舎にも、そんな牧師のような人物が居た。

そんな佛海上人は76歳となり1903年(明治36年)3月20日に入定することになる。前述したように即身仏になるには、単に地中に生き埋めしただけでは達成することができず、木食によって五穀断ちをして体の脂肪分を減らしてゆき、防腐作用のある漆を飲みながらミイラ化しやすい体を作っていった。そして、ヒ素なんかも飲みながら腸内の大腸菌も殺菌したのだとか。

「佛海上人の入定された時の木箱」

本来は、この木箱の中に行者が生きたまま入り箱を地中に埋める。以降は地上と空気の交換ができるように竹などで通気をしながら、地中で最後の修行をするのだと言う。行者は鈴などを振りながら生きていることを地上に伝えながら、お経を唱え続ける。鈴の音が聞こえなくなると入定の時だ。

 

仏海上人もこれに従い、地中にて最後の修行をする予定だったと言うのだが、穴を掘っていると警察官がやってきて自殺や自殺の幇助・死体損/遺棄になるため地中での入場は果たせなかったのだと言うが、寺で息を引き取った後に地中に移され、入定した。

「1936年(昭和36年)7月発掘の様子」

遺言では埋められた3年後に掘り起こして欲しいと言うものだったと言うのだが、墳墓発掘罪などがあり長年掘り起こすことができなかったと言う。しかし、戦後になり、個人の遺言と言うこともあ村上市教育委員会と日本ミイラ研究学会が共同で発掘調査された。

発掘した時点では、佛海上人の即身仏は多くが崩れていたが新潟大学で修復され、現在この観音寺で民衆の守り神として仏になり、祈るような姿勢のミイラとして安置されている。

「佛海上人之碑」

 

この宗派の弘法大師空海は「即身成仏義」と言う仏義があり”この身このまま仏になり得る”という考え方があるのだという。なので生きたまま仏になる。まぁ詳しく調べたところそんな単純なものではないらしいが、自らの人生を仏に捧げ、民衆に尽くすそんな生き方が現代にできるだろうか。誰一人できないと思う。

拝観料の話は前述したが、観音寺では寺の門が24時間365日もちろん無料で開けっ放しなのだという。これもかつて住職を務めた佛海上人の教えなのかと思ったが、現在の住職に話を聞いたところ「寺というのはある種のセーフティーネットなんです。衣食住を失っても受け入れられるように開けっぱなしにしています。」ということだった。マジでこの思想は素晴らしいと思う。今の政治家は佛海上人の爪の垢を煎じて飲むべきだ。と思う。

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(2020)