【生きたまま】日本最後の「即身仏」村上市観音寺へ参拝する。【仏に】(1)

全国裏探訪取材班は、新潟県村上市にやってきた。ここは掲載しよう!掲載しよう!と思ってい他のですけど、なかなか多忙で更新できず今になってしまった。まぁ、この記事を見ていただければ現代の多忙とかストレスとかそんなものもぶっ飛んでしまうと思う、神、いや、仏の境地をイメージしていたでけると思う。

「村上駅」

取材班ははるばる東京からここ新潟県村上市にやってきた。さて、ここ村上には、日本最後の即身仏があると聞いてやってきた。

ここ、村上氏は、新潟平野の一番北側にあり駅前も見ての通りオンボロ物件が建っているだけの駅前。

まぁ街並みもこんな感じで日本海側の地方都市だけあって、お世辞にも金満な感じはないんですけど、それは昔から京都からも遠く昔から決して裕福ではなかったらしい。

ところで、読者は「即身仏」とはなにかご存知だろうか。そくしんぶつ?何それ?っと言われる方がほとんどだろう。それも無理もない。神や仏など宗教が日本で流行ったのはどちらかといえば、中央(東京や、昔でいう奈良・京都などの近畿)などの西日本だった。しかも西日本に即身仏はほぼ存在しないとされている。

「村上市肴町」

仏教は日本各地で信仰されたが、その仏教でも古より、この東日本の東北以北、主に越後、庄内地方だけで見られるのが「即身仏」と言われる信仰形態・存在だ。

その即身仏のうちの一つがここ、新潟県の村上市の観音寺にあると聞いて、のこのこやってきたと言うわけだ。簡単に言うと、即身仏とは、生きた人間が修行のため、地中に埋められミイラ化して信仰の対象になると言うことだ。これだけでも、現代なら考えられないだろう。

「観音寺」

これがその観音寺の案内板だ。なになに「この寺には日本最後のミイラとして知られている仏海上人の即身佛が安置されています。 上人は村上の生んだ高僧で、この寺の住職として生涯を布教と社会奉仕につとめられ、明治三十六年に七十六歳で入寂されました。御遺体は昭和三十六年に遺言にもとずいて発掘したものです。」

 

明治36年は西暦で言えば、1903年だ。文明開花を達成してからすでに30年以上経過し、日清戦争で勝利を収め、翌年には日露戦争も開戦する時期なんで、充分文明国として成長していた頃だ。

江戸時代には、凶作で飢饉や疫病に苦しむ衆生を救うために、多くの高僧が地中に埋められて入定ていた。それが文明発達した近代ですら、このあたりの地域では生身の人間を即身仏にしなくてはならない状況だったと言うことらしい。かなり苦しい生活だったと言うことか。

さて、次回は観音寺に安置される「即身仏」とはそのようなものなのだろうか。参拝も兼ねて生身の仏様を見ていきましょうかね。

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(2020)