【舞鶴三遊廓】東舞鶴「竜宮遊郭」は海軍御用達だったが・・【の1つ】(2)

 

全国裏探訪取材班は、京都府舞鶴市にある「竜宮遊郭」という遊郭跡があると聞いてやってきた。舞鶴には「朝代」、「加津良」、「龍宮」3つの遊廓があったのだが今回は東舞鶴の「竜宮遊郭」を伝えしている。

「竜宮遊郭」

さて、今回も竜宮遊郭を見て行こう。これは竜宮遊郭と遠く海上自衛隊の舞鶴港も写っている。

竜宮遊郭の大通り沿いから見て行きましょうかね。現在はこんな住宅地になっている所に、不自然に道幅が大きい大通りがある。

早速だがこちらの物件。とんがり屋根のこの物件はこの竜宮遊郭の中ではひと際特徴的な物件だ。これは喫茶の跡?

「喫茶 通草」

かつて営業していたと思しき、1階部分は今は駐車所と化しているが花言葉は「唯一の恋」らしい。もしや妻も居らず出征する青年の心境から名付けられたのか・・まぁ考え過ぎか。

まぁ、この竜宮遊郭は海軍さんで発展した遊里でもあったので、そう考えるのも無理もない。ただ、そんな海軍の発展もそう長くは続かなかった。

1921年(大正10年)から始まったワシントン海軍軍縮条約にてアメリカ、イギリス、日本、フランス、イタリアの戦艦や空母の保有の制限がかけられた。これらによって舞鶴の海軍の重要性も縮小していく。

毎度お馴染みの1930年(昭和5年)発刊の全国遊郭案内にはこうある。「新舞鶴町龍宮遊廓 は京都府加佐郡新舞鶴町に在つて、山陰線新舞鶴驛で下車すれば東北へ約十五丁、市内乗合自動車の便もある。新舞鶴は軍港の街で、鎮守府の存廢如何で依つて町の荒廢の決する處だと云える。(続)」

確かに80年前以上の資料でも海軍の景気で遊郭の景気も左右されると記載されている。まぁ全国遊郭案内の発刊されて1930年と言えば条約真っただ中の海軍にとっては暗黒時代なんで仕方ないか。

 

お、これなんかも当時の物なのだろうか。なぜか強烈な赤線臭がするように感じるのは取材班だけだろうか。実際戦後は赤線化してひっそりと終焉していくのだが・・

カフェー調とでも言っていいのだろうか。この行灯の感じも怪しさ満点じゃないですか?なんか薄暗い往時の夕暮れ時がに灯る行灯が想像できてしまう。

この物件を上から見るとこんな感じ。奥に行くと建物が細くなり典型的な当時の町割りだ。画面上中央右に中庭らしきものが確認できる。

これが、逆側の上空からみたこの物件の様子だ。細い棟が奥に拡張され建物に囲まれるように中庭があり木が1、2本植えられているのが確認できる。

 

今でも生活臭があり見事に住居として余生を過ごしている。でもいつ取り壊されてもおかしくないな。

例えば取り壊されるとこんな感じ。敷地は長細くよくある街並みになっているのが確認できる。

当時の物件が潰された後は、このように現代的な物件が建ち遠目では遊廓の遺構が気付きにくくなってし待っているのは時の流れで仕方ない。

次回も「竜宮遊郭」の事件や歴史を紐解いていきましょうかね。

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(2020)