【舞鶴三遊廓】西舞鶴「朝代遊郭」の痕跡を訪ねる!【の1つ】(3)

 

全国裏探訪取材班は、前回から京都府舞鶴市にある「朝代遊郭」の痕跡を訪ねているんですけど、そんな遊郭探訪も今回がラスト、最後決定的な証拠を見つけたんで今回もそこんをころを見て行きましょうかね。

取材班が最後歩いているのは西舞鶴の市街地の西の山側。ここがどうやら朝代遊郭のメインストリートっぽい。さすが京都府だけあって現在は石畳のような意匠で整備されている。

上から見ると、ちょうどこんな感じの路地。左下が朝代神社で鳥居を出て左に行った路地だ。家の建て方とか土地の割り方とかが、他の所と少し違いますよね。

この公明党のポスターが貼られた物件も怪しいな。特に二階の雰囲気とか。1階は商売されていたのか少し手が入ってるんですがね。何とも言えん。

で、この物件を上から見るとこんな感じ。裏手には納屋や倉庫があって建物をよく見て見るとL字型になっているのがご覧いただけよう。

しかも、この通り中庭もしっかりと完備されているのが見てわかる。1階には照明が点灯しているのでここはまだ人が住んでいるのか。

再び地上から見て見る。物件がまるまる一軒潰された土地はこんな感じ。左の物件の様なものが建ててあったに違いない。こういった結構長ぼっそい土地は遊郭の特徴でもある。たまに、こういう土地の中庭だったと思しきところに大きな石や、大きな灯篭なんかが解体後運べずにそのままになっていたりすることもあるよね。

「アサシロ」

好例の電柱見上げ、ここにもしっかりとアサシロと書かれている。

中にはこんな感じで、こんな感じで有彩色で塗られた物件もあったりしますよ。

 

何十年も経ったいまだからこの朱色も色が劣化してボケていますけど、当時は鮮烈な赤だったんでしょうか。さぞやそんな色が似合う町だったのは想像に難なくない。

「千野宮神社」

そんな、西側の路地を歩いているとまた別の神社を発見。これはもしかしたら何か手掛かりがあるのかもしれん。

この神社は地元では「火除けの稲荷」と呼ばれているらしく、雨乞いの神として祀られている。昔で言えば大火への備えや、農作物には水が欠かせませんでしたからね。

「大正七年五月建立」

ここにこの鳥居が建てられた年月も書かれていた。大正七年という事は1918年の事か。当時はもう朝代遊郭が設置された。世界では第一次世界大戦やスペイン風邪の只中といったところか。

 

「朝代藝妓一同」

霊剣新たかな千野宮神社だが狭い境内には、朝代藝妓一同とかかれた石柵なんかも今に残している。なるほど当時は娼妓に加え、芸妓も居たのか。

「いろは」「君の家」「天橋楼」「一文字」

これは当時の貸座敷の屋号と思しきものも石柵に記されている。

「ふみ家」「紅春樓」

 

「朝代貸席組合」

こちらには朝代貸席組合とある。これらの石柵に記載された当時の組合や屋号で朝代が色街だったことは充分に確認が出来た。

しかも、ありましたよ。一番初めに紹介した旅館霞月の石柵も。当時は霞月と言っていたらしい。やはり転業旅館だったか。

もう大体こんなもんか。と思っていると、3階建ての物件も発見。現存するこの物件はなかなか珍しいんじゃないでしょうかね。今となってはかなり貴重な存在だな。

 

さていかがだっただろうか。舞鶴にある三遊廓「朝代」「加津良」「龍宮」の内の一つを紹介した。また時間があれば他の2つも紹介したいと思う。

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(2020)