【舞鶴三遊廓】西舞鶴「朝代遊郭」の痕跡を訪ねる!【の1つ】(1)

全国裏探訪取材班は、京都府にやってきた。京都と一口で言っても、京都市と言えば、大阪から1時間も掛からない日本の都なんですけど、話を京都府に広げると日本海側にも京都府は広がっているんですよね。その京都府の日本海側の有数の都市が今回取材班が訪れた「舞鶴市」にある「朝代遊郭」だ。

「西舞鶴駅」

今回取材班がやってきたのは、舞鶴市でも西舞鶴という所。舞鶴と言えばその独特な地形で今回の西舞鶴と東舞鶴という2か所の平地にそれぞれ街が形成されている。

「西舞鶴」「東舞鶴」

この地図を見ればお分かりだろうが、平地が丘陵地を挟み2つあるのがお分かりだろうか。西舞鶴は戦国時代に建てられた田辺城別名舞鶴城なんかがある中世からある街だ。それに比べ、東舞鶴は明治の近代以降軍港によって発展した街だ。この舞鶴には今回の「朝代」、「加津良」、「龍宮」と三カ所の遊廓があったという。

「新世界商店街」

そんな歴史ある舞鶴の街なんですけど、西舞鶴駅の目の前にはさっそく古めかしい商店街なんかもあったりする。

「高野川」

西舞鶴駅を降り、商店街を横目に見ながらひたすら西側へ歩いていくと高野川を言う川を渡る。すると今回の目的地に到着する。

「府社朝代神社」

今回取材班の目的は西舞鶴の「朝代遊郭」だ。遊廓に神社ありという諺があるのかどうかは知らないが、ここも例に漏れず神社が鎮座。

「朝代会館」

遊廓があるところって、近世になり行政区画の名称(住所)が変わって分かり難い場合もあるんですがここは今でも朝代という地名を使っているようだ。

朝代会館で地元民に話を伺ったが、現役の遊郭時代を知る人は既にかなり少ないらしい。それも遊郭探訪のバイブルでもある1930年(昭和5年)発刊の「全国遊郭案内」や戦後発刊の「全国女性街ガイド」にも当地の記録は無く、既に存在が時代という並みによって闇に葬られようとしている。

地元民曰く、遊郭の範囲だったところは「朝代神社を背にして左手一帯がそうだった。」との言質を押さえたので早速その現場を見て行こうと思っている。

 

「料理・旅館 霞月」

この朝代遊郭を探訪したいならば、この旅館霞月を目指してくると分かり易い。てか、ここもさっきの地元民が言っていた、朝代神社を背にして左手一帯のエリアなんでもしかしたら転業旅館か何かだったのか。いや確実のそうだろ。

この旅館霞月、上から見るとこんな感じ。かなり改装されてるっぽけど、目をうっすら開けて見ると朧げに当時の雰囲気を感じるのは取材班だけではないだろう。

しっかり中庭もあったりするし、これは完全に黒だと思われる。いやぁ時間あったらまた泊まってみたいものだな。

 

で、旅館霞月の東側には高野川が流れるんですけどこれはもしかして、市街地と遊廓を分ける役割を果たしているんでしょうかね。

さて、次回も西舞鶴「朝代遊郭」の歴史を洗っていきましょうかね。

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(2020)