【現在と過去】あの「五条楽園」のお茶屋街の今は。【着物で接客】(6)

 

全国裏探訪取材班は、京都は五条大橋の近くにあった「五条楽園」に来ている。今回は再度高瀬川を渡り鴨川沿いの方にやってきた。ちょうど五条大橋が見える所から見て行きましょうか。

「五条大橋」「鴨川」

ここは京都が都だった平安時代に、嵯峨天皇の皇子だった源融(みなもとのとおる)が隠居することとなった河原院の跡地。

「此附近 源融河原院址」

現在でも、その源融の邸宅内に在ったとされる森林の一部の木の下に石碑がある。京都の‟河原町”の地名も実はこの隠居物件の河原院から来ているという。

「交番」(2005年撮影)

ちなみにこの源融河原院址は、ちょうど五条楽園の北側の入口になっておりこんな感じで交番があったな。今は更地になってるんですけど、やはり遊郭や赤線に交番は必須アイテムだな。

こちらがその北側の交番から見た三友樓。で、ここから路地に入っていくと・・

こんなオンボロのアパートがあったり、結構渋い街並みに早変わりする。

ちょうど三友樓と鴨川の間のエリアは見ての通り赤線感半端ない路地が広がっている。なかなか裏探訪好みの路地だな。

この物件なんかも往時は賑わっていたのだろう。今だからこそ外装がこんな感じでくすんだ赤色に成り下がっているが当時は鮮烈な色だったんじゃないでしょうけど。

 

隣の物件もこの通り。角が45度カットされていて陰気臭く怪しさが半端ない。1955年(昭和30年)発刊の全国女性街ガイドにも、この五条楽園の記載がある。「七条新地 京阪電車・七条下車 通称を橋下といい、五条大橋から七条までの西側の川沿い。(続)」

「百六十八軒に七百五十名の女たちがいる。京都的というより全国赤線的なシマで粒は不揃いだが、遊ぶには活気があっておお。疎水をはさみ西と東に別れているが平均して安く、遊び三百円、泊り千円。(続)」

「お茶屋 八千代」(2005年撮影)

「昨年までは写真をショーウィンドのように飾っていたが、現在は“照らし”といって、螢光灯のスポットを当てた陳列棚に女が並んでいて、のれん越しに顔が見える。検診は東側が火曜、西側が月曜。」なるほど。飛田新地的な運用だったのか。

パーマ屋もありますね。もしかしてい置屋での待機前ここで髪の毛をセットしていたのでしょうか。

「舞華」

この舞華っていうのも元はお茶屋だったのだろうか。今は「ゲストハウス舞華」という主に外人向けの旅館になっている。これが現代版の転業旅館か。

 

この物件なんかも、三友樓並みに貫禄がある物件だなぁ。唐破風で戦前の遊郭物件ですかね。うん。素晴らしい。

正面から見るとこんな感じ。唐破風に縦格子、二階部分も手直しはされて居るが総木製で軒下に行灯も当時物と思しきものがあったり、往時の雰囲気を損なっていない。

唐破風の屋の素材は、恐らく銅なんで完成当時はピッカピカに輝いていたんでしょうか。今でも丸い行灯が玄関をぼんやりと照らしている。

無論このように手直しされてる物件もあるんですが、ぶち壊されて現代の2×4のファミリー物件が建ちまくったりせずに、丸窓を残したりいい感じにリメイクしてるんですよね。その辺は橋本遊郭と同じ感じ。

 

「お茶屋」

ソッチ系の営業は数年前に壊滅したが、今でも「お茶屋」の看板が探せば見つかるし、リメイクされた民泊物件やカフェなどに改装された妓楼もあるので是非「五条楽園」に立ち寄ってみても良いかもしれん。まぁ、駅からも近いし、ベタな観光地に行くよりいいですよ。

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(2020・2005)