全国裏探訪取材班は、廃炉に追い込まれた夢の原子炉「高速増殖炉もんじゅ」を見に来た。今回はそんなもんじゅがなぜ廃炉に追い込まれたのかそこんとこを見て行こうと思う。
「もんじゅ」
もんじゅは完成後の1994年(平成10年)4月5日に臨界に達し同年8月29日発電が始まった。しかし稼働後すぐの12月8日にナトリウム漏洩事故が発生して運転が停止した。
「禁水」
そう、このもんじゅの最大の泣き所がナトリウムを利用したことだった。通常の水で冷却する軽水炉原子炉は、緊急時には原子炉内部にカメラを入れて、内部を見ながら対処することが可能だ。
しかし、もんじゅでは内部がナトリウムで満たされているので、内部を直接視認する見ることが出来ず、水で対処も出来ない。緊急事態が発生した時の安全性に大きな疑問が残る原子炉だったのだ。
「2次冷却系配管」
8月から発電を開始し、事故日12月8日もんじゅは出力向上の運用試験が行われた。原子炉の目標熱出力は43%、出力を徐々に上げていた時に事故が起こった。
「折れた温度計」
〈日本原子力研究開発機構から加筆〉
12月8日19時47分、2次冷却系配管室の配管でナトリウム温度計低下、その後摂氏200℃前後まで急低下した後に正常値の摂氏480℃まで復帰したがすぐに摂氏600℃の目盛りを振切てしまう。
「ナトリウムの燃焼」
それと同時刻に、火災報知器がナトリウム漏洩の警報が2か所で発報。作業員は2次主冷却系配管室でナトリウムエアロゾル(煙)を確認、その後も最終的に原子炉を停止したが火災警報の範囲は広がり、ついに66カ所で発報した。
ナトリウム漏れの原因はこの温度計だった。簡単に言えばこの温度計はナトリウムの配管に対して直角に取り付けられているのだが、その取り付けが甘く折れ曲がり金属ナトリウムが漏れだしてしまった。
「金属火災用消火器具ナトレックス」
で、この事故はもんじゅ外の関係者よりナトリウムの冷却装置の強度不足なども指摘されていたが黙殺。案の定事故におなってしまう。しかもさらに問題なのは、事故発生直後、原子炉に負担がかかるからと緊急停止せずに、緩やかに出力を停止するという運転マニュアルをも破った。
事故が実際にあるに関わらず、それを隠蔽しようとマニュアル通りの対策を取らなかったり、事故後の会見では事故現場を撮影したビデオを改ざんして隠したり二ホンの隠ぺい体質が明るみになった。
1996年(平成8年)1月12日に開かれた隠蔽公表の記者会見の翌日の13日にはビデオ隠しの特命内部調査員としてマスコミに相対していた、動燃(動力炉核燃料開発事業団)総務部次長の遺体が発見され、警察は自殺と発表された。
遺族は嘘の記者会見を強要されたためだとして動燃に損害賠償請求訴訟を起こしたがその後敗訴が確定した。死人に口無し、ここでも組織の問題が個人の問題にいつの間にかすり替わり無かった事にされてしまった。
その後、運転再開を目指しナトリウム漏洩対策小路とか、動燃が解体され独立行政法人日本原子力研究開発機構発足など再発防止の組織づくりとか色々あって15年ほど経過して、結局再度運転したのは2010年(平成22年)そして、翌年東日本大震災が発生。
東日本大震災によって福島第一原発事故などがあって、安全性の総点検があり亜安全に運転を継続しようとしたのだが、機器の点検漏れや虚偽報告が発覚。その後も未点検の機器数の報告も400点も漏れていたり杜撰な運営が明るみになり、原子力規制委員会は、日本原子力研究開発機構に運転を任せるのは不適当だとして最終的に廃炉を決定した。
1兆円の巨費を投じ、発電に使った以上の核燃料を生み出す「夢の原子炉」と言われた「高速増殖炉もんじゅ」だが結局のところ30年も運営していて稼働していたのはたった250日。しかも、いまでも1日当たりの維持費が5000万円と言われており、高速増殖炉として燃料を増殖するどころか、二ホンの“赤字増殖炉”になってしまっている。さて、手仕舞いは何時になるのか、損切りできない事業はまだ続いているようだ。
あと余談なんですけどこのもんじゅは高純度なプルトニウム生成できるので核兵器への転用もたやすいのだとか・・・裏スポットです。
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(2020)