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全国裏探訪取材班は、沖縄戦の海軍部隊の終焉の地「海軍司令部壕」に来ている。前回までは沖縄戦のざっくりの推移を資料館を見ながら解説してきたんですけど、今回はその司令壕の内部に入っていこうと思う。
「那覇の様子」
この海軍司令部壕は小禄と言う地区にあるのだが、沖縄戦で首里の戦線が破られ5月22日陸軍は沖縄本島南端部に撤退を始めるわけだ。
海軍も陸軍に歩調を合わし、この司令部壕を放棄し陸軍に合流するため5月26日より移動を開始した。しかし、連絡の行き違いがあり一旦司令部壕に引き返してしまう。
「旧海軍司令部壕」
そうこうしていると、5月に入り米軍の攻勢が強まり、海軍部隊は本島南に撤退した陸軍部隊に合流できず、この小禄地区の丘陵地に孤立してしまうことになってしまう。
「昭和20年6月4日~13日の小禄地区戦闘経過要図」
6月4日早朝米軍はここの至近にあった小禄飛行場の北部に上陸。司令部壕に孤立していた海軍部隊を完全に包囲した。包囲から10日間海軍はこの壕を要とし孤軍奮闘するわけだ。
さて、いよいよ海軍司令部壕の中に入っていきましょうかね。ここは戦後整備されたところなのでまだきれいに整備されている。
豪の内部は現在こんな感じの構成になっている。もしかすると当時はもう少し別の部屋があったのかもしれないが。
この海軍司令部壕は基本手堀りで掘られており、兵士3,000名が昼夜とわず5か月をかけて完成した。当時は電気も無かったらしくカンテラと言った石油を燃料にした小型照明のみで掘り進められた。
「つるはし」
後年整備されたところ以外は、こんな感じで当時のままの手彫りの跡が残っている。中には地層の中には岩があったりもして、当時の兵士の苦労の跡が見てとれるな。
「作戦室」
では海軍司令部壕の部屋を一つ一つ見て行こうとしよう。入口から入ってきて一番近くにあるのが、作戦室だ。
内部はこんな感じ。ここは作戦を練る重要な部屋で、コンクリートでかためられており当時のままなのだという。
部屋には当時の様子のイラストも飾られているので、当時の作戦室の雰囲気を今に感じることが出来る。所々コンクリートに穴があるのは棚があったようだ。
作戦室の奥には別の通路があり抜け道になっているようだ。それにしても狭いな、これは閉所恐怖症は結構きついと思われるので行かない方がいいかもしれん。
もちろん、当時この中で数千人が死んだ壕の中なんで、取材班は全く信じないがいわゆる霊感がある人なんかは注意が必要だ。地元民の間では心霊スポット認定されてるくらいですからね。
さて次は、幕僚室へと入っていきますよ。ここからさらにDEEPな空間が広がるんで次回もしっかり「海軍司令部壕」をご覧ください。
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(2020)