【沖縄県民】沖縄戦の司令部「海軍司令部壕」【斯ク戦ヘリ】(1)

 

全国裏探訪取材班は、沖縄にやってきた。取材班は滅多なことがないと沖縄に来る事は無いのだが、今回は何日か滞在することがあり時間があったので沖縄のアングラスポットへ足を運んできた。

取材班は沖縄空港に到着。軍民共有の空港だけあって空港のロビーからは各種軍用機が待機している。取材班は全員戦後の生まれなのだが、やはり沖縄は今でも戦争の傷跡が色濃く残っているのを感じる。

現代の人々からすれば沖縄明るいリゾート地のようなイメージをお持ちだろうが、取材班からすると、日本で唯一地上戦が行われたとされる沖縄はそんなリゾート地のようなバカ騒ぎする土地にはどうも思えないんですよね。

まぁいずれにせよ水族館とかお買物とかBBQとか観光メインで沖縄へやってきたんですけど、裏探訪的に見ればそんな下らない事してても楽しくないんで、今回は裏の観光地に行ってきたってわけ。

「旧海軍司令部壕」

そんな感じで取材班が観光にやってきたのがこちら、旧海軍司令部壕だ。ここは大東亜戦争(太平洋戦争)末期の1945年(昭和20年)3月26日から始まった沖縄本島での戦い(沖縄戦)で司令部があった所にやってきた。

住所で言えば、沖縄県豊見城市豊見城と言う所だ。那覇の中心部からは車で15分ぐらいの標高74mの小高い丘陵地に司令部が構築された。その為ここは七四高地と言われている。

沖縄戦が始まったのは1945年3月なのだが前年の1944年(昭和19年)7月にサイパン・マリアナ諸島が玉砕。絶対国防圏が崩壊し日本の敗戦が濃厚になっていった。その次に連合国が来るのは沖縄と容易に予測が出来た。

「海軍戦没者慰霊之搭」

「旧海軍司令部壕見取図」

この海軍司令部壕はマリアナ諸島がやられた1944年(昭和19年)8月10日に着工された。同年10月10日には沖縄空襲(十・十空襲)があり空襲を挟み同年12月に完成した。

海軍司令部壕の建設には、司令官大田実以下、山根部隊と言われる海軍第226設営隊約3000名がモッコやツルハシなどの手作業で掘り進められたのだという。当時米軍ではブルドーザー電気工事用品など機械化がすすめられていたというが・・

海軍壕公園展望台の海軍戦没者慰霊之塔には沖縄戦の参加部隊名が記されていた。ここには地上部隊は勿論のこと、戦艦大和などの水上艦艇なんかも書かれていた。

「戦艦大和」

ちなみに沖縄戦の戦いの一つは、あの世界最大の戦艦大和が沖縄戦の支援に数隻の艦艇を引き連れて沖縄へと赴いた「沖縄水上特攻」が有名だ。

余談だが、この戦艦大和が沖縄戦支援にいった沖縄水上特攻は、最後まで艦隊決戦のために温存した戦艦大和を兵力で不利な沖縄の戦況を打開すべく、沖縄へ派遣、敵水上艦艇を撃破しながら最終的には沖縄本島へと座礁させ陸上砲台にし火力援護と士気の向上を狙った作戦だったのだ。

そんな作戦だったのだが、いかに大和が世界最強の戦艦とはいえ、制空権制海権がない海域で大和以下数隻VS米正規空母7隻、軽空母5隻、艦載機377機、戦艦6隻他艦艇40隻では無謀としか言いようがない。当然沖縄到着前に沈められてしまったわけだが・・

話は逸れてしまったが、次回はそんな孤立無援の「海軍司令部壕」の中へと入っていきましょうかね。

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(2020)