【不法占拠は】大阪国際空港真横の「中村地区」は今どうなっているのか。【三十万文の得】(1)

全国裏探訪取材班は、関西の玄関口「伊丹空港(大阪国際空港)」に来ている。ここの近所には「中村地区」と言う朝鮮バラック部落があったのだという。その前に、関西の読者の皆様は伊丹空港を使うかも知れませんが、伊丹空港っていつ出来たか知ってますか?知りませんよね?いや、別に知識マウント取ろうとしているわけじゃないんで、謙虚に説明していきますよ。

「大阪国際空港(伊丹空港)」

大阪国際空港は戦前まで遡る。1939年(昭和14年)1月17日に大阪第二飛行場として開港した。ちなみにその当時の大阪飛行場は現在の大阪市大正区にあり、その移転先として建設されたのが始まりだ。

この当時の日本は日中戦争真っ盛りで、翌1940年(昭和15年)に開始された大阪第二飛行場の軍用化に向けた拡張工事が始まることになる。まぁ当時は米英開戦も翌年に控えており建設に従事する労働力もかなり低下していた。

政府は不足する労働力を補うために、外地である朝鮮半島から労働者を雇い入れることになる。もうこの辺で熱心な読者はお察しいただけるだろう。朝鮮人を雇い入れ、戦後ドサクサで居座り、中村地区は形成されていく。まぁいつものパターンなわけですわwそういういや飛行場建設関係で居座ったのって京都の朝鮮人部落ウトロ地区もそうでしたよね。

「ナカムラ」

この中村地区の名前の由来は、さらに遡り鎌倉時代に荘園がありその古文書に記載されていた名前に由来するという。

〔34°47’23.9″N 135°25’35.8″E〕

さて早速現場を見て行きましょうかね。場所で言えば大阪空港の北西当たり。この道路の向こうにある緑色の柵から向こうが大阪空港の敷地何ですけど、その向こうに原っぱみたいなのが見えると思う。ここがいわゆる中村地区の朝鮮人バラックがあったところだ。

戦前からこの敷地に大阪空港建設の為集まった朝鮮人たちの飯場が建てらた。その後、戦後になった後も朝鮮半島に帰らず日本に寄生。近年まで、その労働者の子孫とその親類縁者まで続々と不法占拠民が増殖していったのだ。

さて、そんな朝鮮人に不法占拠されていた現場はどのようになっているんでしょうかね。先ずは、ざっと周囲を見て行きましょうかね。

界隈を見て廻っていると「炭火焼肉 하나 ハナ」と書かれた気味悪い看板を発見。あ、生理的に無理なんですよねハングルって。なんか気持ち悪くないですか?そう思うのは取材班だけですかね。おでん文字!ダメ!ゼッタイ!w

 

そんな、キムチ悪い看板の方に歩いていくと、焼肉屋がある。それも和風の焼肉屋じゃなくてモロあちゃらの焼肉店。名前はハナとか言う名称なんですけど、そういや在日朝鮮人の信用組合もハナとかいう名称だっけ?しかも朝鮮の意味でハナって「ひとつ」っていう意味らしいんですよね。未だに南北はひとつにはなっていませんが・・・我が強いんですよね朝鮮人ってw

さて眠いので今日はここまで。次回は昔の空撮写真なんかを見ながら「中村地区」の変遷を見て行きましょうかね。

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(2020)