【男の】故「羽柴誠三秀吉」の居城「小田川城」を攻城する!【夢の跡】(2)

 

全国裏探訪取材班は、青森の五所川原市に来ている。かつて選挙マニアとして名声を挙げた「羽柴誠三秀吉」お膝元だったところだ。そんな五所川原市の中心街から北上すること10Kmに「小田川城」と言う羽柴秀吉こと三上誠三氏の豪邸っがるのだという。なにやら温泉なんかもあるというので早速やってきたってわけ。

「小田川藩 国道1号線 小田川温泉ホテル」

さて取材班は国道339号線を北上し、県道195号線で小田川の羽柴の本拠地を目指す。すると、いきなり国道1号線(!)の看板が。国道1号線と言えば大阪から東京までの大動脈の筈だが・・・しかも薄く農耕車優先と注意書きがされているw

そんなギャグみたいな国道を走ってくると、なにやら城の大手門のような物件を発見。ここからが羽柴誠三秀吉のテリトリーになるのだろうか。

「小田川藩帝国」

その大手門のような物件の上には、小田川藩帝国と書かれている。そもそも、藩って幕府の下の立場なんで、天下人秀吉を語るなら間違った表現だと思うんですけど、青森にはそんなことを指摘する部下と言うか家臣はいなかったんですかね。しかも、藩であり帝国・・・もうめちゃくちゃだな。子供が1億兆万円とかいってる感じw

「小田川城正面入口」

それはそうと、なぜ青森の三上誠三氏が羽柴秀吉なんかと名乗りだしたのだろうか。説明版にはこう書かれている。「一五七九年、(天正7年)羽柴筑前守秀吉は織田信長の命を受けて、奥州津軽地方喜良市群落の山林「大判沢」という所に金採掘の為、総勢一万三千五百人の兵を連れてやって来たという。その時、喜良市と嘉瀬の間の小田川山に出城をかまえて小田川城を築城、金採掘の為に小田川城から指令を出し、金採掘の人たちの宿泊の地となったのである。その時、羽柴秀吉は喜良市群落の酋長、喜良市三上佐助高敏の長女とら姫と縁を結び、その長男は羽柴と三上の2つの姓を名乗り、津軽の守護代として数百年続いたという。現在は、十七代城主、羽柴誠三秀吉氏の手により、平成2年(1990年)七月二十五日に復原したものである。小田川城主 羽柴誠三秀吉」なるほど、要は自分は秀吉の子孫だと主張しているわけだ。なるほどなw

確かに、さっきの大手門のようなゲートもそうだし、中に入っても豊臣秀吉が利用していた桐紋が色々なところに掲示されている。ちなみに、この三上誠三氏が羽柴秀吉を名乗りようになったのは、幼少期近所の寺の住職から「お前は豊臣秀吉の生まれ変わり!」と言われてから、それを信じ込みその秀吉の名を名乗っていたのだという。

「小田川藩総理官邸」

当然秀吉を名乗るからには、無能でアホだったわけではない、三上氏は恵まれない家庭で育ち中卒ながらも丁稚で奉公。そこから資金を貯め1970年(昭和45年)に1台のダンプカーを購入した。最初は小さな運送会社を設立したというが、持ち前のガッツと高度経済成長期という事もありこの地で頭角を現した。

「内閣 羽柴秀吉」

そして1976年(昭和51年)、27歳の三上誠三氏は若くして青森県の高額納税者番付に掲載されることになる。それからは順調に会社が成長し財を成しこれらの施設を建設していくことになる。

 

「帝国海軍省」

さて、そんな財を成した羽柴誠三秀吉はどんなものを作っていったのか、その物件を改めて見て行きましょうかね。こちらは帝国海軍省。確かにその昔大日本帝国時代には海軍省という省があったが戦後すぐ解体された。これはその後継なのか・・それにしても建物が安っぽすぎないか?w

なんか取って付けたみたいないかにもな金の文字の看板だし、上の桐紋のロゴも笑えてくる。しかも、窓のハリボテも雑過ぎないか?これじゃ昔のメガネの三城みたいな感じだなw

さて次回も、残りの物件を見て行きましょうかね。

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(2016)