【いまでも】「香港の戦い」で「田中良三郎大佐」が見た風景とは。【そのまま】(4)

 

全国裏探訪取材班は、現地香港でイギリス軍と日本軍の戦い「香港の戦い」の現場を巡りながら歴史探訪をしている。さて、早速香港の地を歩いていきましょうかね。

「ザ・ペニンシュラ香港」

今回取材班が訪れたのはザ・ペニンシュラ香港だ。このホテルは香港のホテルでは名門中の名門ホテルなんでもしかしたらVIPな読者は泊まったことがある方もいるのではないだろうか。

実はこのザ・ペニンシュラ香港の開業は1928年(昭和3年)なので香港の戦いに於いて日本に負けた当時からあった物件だ。

イギリス軍は1941年(昭和16)12月25日に降伏したのは前述の通りだが、その後の降伏文書の取り交わしはこのホテルの336号室で行われたのだという。戦中は日本の軍関係者向けのホテル「東亜ホテル」に改名された。

「Sai Wan Ho Station (西灣河)」

そして、最後の最後タイトルの回収になるのだが、Sai Wan Ho Station (西灣河)にやってきた。ここは香港島の北東部に位置する場所だ。

「田中良三郎大佐」

で、この香港の戦いで奮戦したのがこの田中良三郎だ。この田中良三郎は1894年(明治27年)生まれ、第38師団歩兵第229連隊の連隊長としてイギリス軍との戦闘を行った。

どうやらこの田中良三郎が見た景色が、ここ西灣河地区を山の方に登っていけばみられるっぽいので登ってみる事にする。

「Yiu Hing Road (耀興道)」

取材班は地下鉄港島線西灣河駅からタクシーでYiu Hing Road (耀興道)を登ってきた大体乗車時間は3分ぐらいだろうか。

 

住宅街の裏の法面をひたすら登っていくことになる。これは果たして入っていい場所なんでしょうかね。でも、警察はデモで忙しそうだからこんな所に登る異国人は相手にしてる暇無さそう。

〈22°16’38.8″N 114°13’11.0″E〉

今のご時世ここへ行くもの好きはいないだろうが、一応座標を張って置こうと思う。

目的地は迄にはかなりの勾配があるな。イギリス軍はこんな所に要塞陣地を張っていたのか。当然攻める時は下からなんでかなり不利だよな。よくやるよな日本軍も。

取材班は20分ほどかけて斜面を登ってきた。左に見えるマンションの地階部分から昇ってきたので、既に30階相当は登ってきたと思われる。だが目的地まではもう少し上か。

 

お、この辺だろうか。実はこの景色を目的に来たのはこの写真のためだ。

「筲箕湾を見る歩兵第229連隊長 田中良三郎大佐」

ほぼ同じ場所で現代の香港を見る取材班の一員。現在は時間だけが80年も経過した為、筲箕湾はマンションに覆われて見る事合出来ないが、いまでもそのままだ。田中良三郎大佐の写真の位置の方がもう少し高度が高そうだが、山の地形なんかも変わっていないので大体同じ場所だと思われる。

田中良三郎大佐はその後終戦を迎え、1947年(昭和22年)戦時中の香港での連合軍の捕虜の殺害・虐待の罪で、香港軍事裁判所から20年の刑を言い渡されたが、 1957年(昭和32年)早期に釈放され帰国。1970年に亡くなったのだという。

開戦間もなく占領した香港。有色人種として初めてイギリスを駆逐した彼は何を思ってこの風景を見たのだろうか。

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(2020)