【いまでも】「香港の戦い」で「田中良三郎大佐」が見た風景とは。【そのまま】(1)

 

全国裏探訪取材班は、少し前出張で香港へ行ったんですよね。で、その香港ですけどどんなイメージをお持ちだろうか。ブルースリー?確かに香港映画はじめとしてサブカルチャーも多いですし、料理の美味しい街としても知られていますよね。

「香港」

あとは夜景とかも世界三大夜景と言われるくらい有名ですかね。まぁ現在は観光や金融がメインのアジアを代表する都市と言ったところでしょうか。

そんな香港と言う街なんですけど、最近で言うと香港のデモとかが有名ですかね。あれって、元はイギリスの植民地だった香港が中国へ主権を1997年(平成7年)に返還したんですけど、主権の返還と共に英中両国はいきなり自由主義から社会主義へ変更も難しいので、返還から50年間(2047年)まで社会主義政策を実行しないことが取り決められた。これを一国二制度と言う。

にも拘らず、中国側はこの一国二制度を一方的に破棄。それに対し自由を謳歌していた香港人が反発してデモを行ったという訳だ。

でこの香港がイギリスの植民地となったのは、1841年(天保12年)誰もが知るアヘン戦争が勃発、それに勝利したイギリスがこの地を占領し、1842年(天保13年)に清国との間で結ばれた南京条約で香港島を領有したことに始まる。

「広東」

それから時は経ち1931年(昭和6年)に満州事変が勃発。日本は迫りくるソ連の南下、生存圏確保のため中国大陸に進出していくことになる。それから日中戦争に発展し1938年(昭和13年)に日本軍は広東を攻略する。

そうすれば問題にあるのは、香港に駐留するイギリスの駐留だった。1940年(昭和15年)になると日本軍は広東省の宝安県(現在の深圳)を完全に制圧した。その為、香港のイギリス軍は完全に孤立した。

日中戦争時、香港のイギリス軍は孤立はしていたが、日本はイギリスに宣戦布告をしていない為敵対はしていたが交戦状態にはなっていなかった。しかし、1945年(昭和16年)12月8日に日本は英米に宣戦を布告。真珠湾攻撃を開始し英米と交戦状態に入る。

日本軍は米英との開戦に際し、南方作戦が発令。その中には当然香港に駐留するイギリス軍を駆逐する作戦もあった。12月8日真珠湾攻撃と同じ時刻に日本軍は香港のイギリス軍に対し攻撃を開始した。

 

こちらが「香港の戦い」の概略図だ。深圳に駐留していた日本軍は次第に新界地区に侵入していった。

「啓徳空港」

12月8日真珠湾攻撃と同時刻攻撃が開始されたのは、この啓徳空港だった。ここにはイギリス空軍機と同民間機があったのだが開戦前からこの空域は日本軍が制空権を持っていたため、開戦と同時にこの啓徳空港を空襲した。

不意を突かれたイギリス軍は、所有する部隊の大半が炎上し全飛行機を喪失してしまう。のちにこの空港は日本軍の手に落ち終戦まで日本の支配下に置かれた。

この日本軍における、香港作戦の作戦目的は「敵を撃破して香港を攻略するに在り」と定められ攻略に当たっていくことになる。

 

まず、上の香港の地図を見ていただければお分かりいただけるだろうが、香港と言うのは新界・九龍地区と香港島地区に分かれており、日本軍は北側から侵入し九龍地区の制圧に当たった。

さてこの日本vsイギリスの「香港の戦い」どういう結末になるんでしょうか。

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(2020)