全国裏探訪取材班は、城主「松尾正信」が気付いた同和コンツェルン「楠橋城」に来ている。さてこの松尾正信と言う男どんな人物っだったんでしょうかね。そら、一代で文字通り城持ちになるくらいなんでよっぽど世の中に貢献した人物だと思うのが普通だと思うんですが。
「松尾正信」
「北九州土地転がし事件」
さて、この松尾正信と言えば一番有名なのが、北九州土地転がし事件の最大級の首謀者だ。
もともと、この北九州市八幡西区(当時は八幡区だった)の楠橋地区は笠松炭鉱株式会社と言う筑豊の炭鉱関係の会社が大部分を所有していた。
当時として、この北九州土地転がし事件が起こったのは1970年(昭和45年)頃はエネルギーが転換していた時期であり石炭の需要が矮小化していった。その時この土地に目を付けたのがこの松尾正信だった。
松尾正信は元々、同和の出身だった。正信は持ち前のガッツで同和の筆頭へと昇りつめ、ついに同年1981年に第19回全日本同和会全国大会で見事筆頭に選ばれる。
と言っても、この全日本同和会と言うのは所詮同和の連中の寄せ集まり。基本的に同和の解消を純粋に推し進める連中が居るはずもなかった。特にこの松尾正信率いる派閥は暴力と利権を第一に掲げており、強請りタカリは勿論のこと、不法行為は以前から公然と行われていた。
公共工事においても不正入札、談合、贈収賄に至るまでまさに同和を核とした土建屋などのやりたい放題と言ったところだろうか。これでも相当な利益を上げていたのだろうが松尾らはそれだけでは飽き足りなかったようだ。
笠松炭鉱株式会社の所有していた楠橋地区の土地に目を付けた松尾正信は、早速同社より楠橋地区の土地を坪単価約2,000円ほどで買い上げた。それからが松尾正信の土地ころがしの始まりとなる。
ある時松尾正信は北九州市役所から上級幹部を自宅に呼びつけた。正信は「部落解放同盟のとこ(土地)は同和政策の道路拡張で簡単に土地を買っとる!なんでこっち(全日本同和会)の土地が買えんのか!」っと言い放った。
呼びつけられる前から、松尾側から土地の購入の催促があったというが、元々大きな同和地区でもない為、市役所側は購入を渋っていたという。
にも拘らず同和の親玉に呼びつけられた挙句、部落解放同盟まで持ち出され「差別するのか!」と恫喝された役人幹部は震えあがり、当初購入を渋ってはいたのだが「少しお待ちください。今は何の計画も無いのでこの土地を買うわけにはいかないのですが、(購入はするので)計画を立てるまで待ってください。」とその場の言い逃れをしてしまったばっかりに、事態は購入に動くことになる・・
少し恫喝されたくらいで、差別で訴えられ自らのキャリアにキズが付くのを極端に恐れた無能な役人のせいで、貴重な血税が輩に入っていくわけですよね。まぁマスコミも今ほど突っ込んでこない。しかも、SNSも無く、インターネットは当全くない時代はこんなことがまかりっとった時代なんだな。
さてこの2,000円の土地。いくらで買ったのだろうか。次回へと続く。
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(2020)