【小樽の】「蟹工船」作者「小林多喜二」の名作「工場細胞」のモデル“H・S工場”こと「北海製罐小樽工場第3倉庫」を見物する。【裏工場】(5)

 

全国裏探訪取材班は、かつては“小樽のフォード”と呼ばれた巨大企業「北海製罐」の「北海製罐小樽工場第3倉庫」を、小林多喜二の「工場細胞」を読みながら見てきた。今回はその物件の残りの部分を見て行こうと思っている。

この「北海製罐小樽工場第3倉庫」の中に入ることは残念ながら許可されなかったので外から見える範囲を見て行く。

この物件が完成したのは今から大方100年ほど前なのはお伝えしている通りだが、現在に至るまでこの1世紀当時の威容を保っている。

外見から推察するに塗装などを覗き、大掛かりな改装をしているのは屋根の部分だろうか。雨漏りをしないように防水加工が施されて居そうな外観だ。一部ひび割れてるし。

しかも、塗装なんかに関しても、最近は全然メンテナンスされている様子はない。こんな様子なら大雨になったら絶対漏水してるだろ・・

細かいディティールを見ていくと物件の躯体内部までコンクリートが剥げ落ちているのがお分かりだろうか。しかも水分吸って植物まで生えてきてるし・・・ズ、ズタボロだなぁ・・

「部外者立入禁止」

「少量危険物貯蔵取扱所」

そういや、この工場なんかは戦争継続に必要な施設だったので大戦末期には米軍に狙われると予想された。しかし1945年(昭和20年)7月14日から翌15日に行われた小樽空襲では難を逃れたらしい。と言うのも小樽は緯度が高くグアムやサイパンなど南方からのB-29戦略爆撃機に関しては航続距離が足りず北海道全域は無事だった。

小樽空襲は、主に空母艦載機などによる襲撃で被害に遭ったのは海防艦や輸送艦が数隻被害に遭っただけで、家屋そのほか物件はほぼ被害が無かったらしい。不幸中の幸いだ。

 

ぼか外側の設備を見て行くと、このような昇降機の一種と思わる設備もいまだに残っていたりもする。

これはその昇降機の上部の拡大したもの。上部には電動機が架設されているのが分かるだろうか。

続いて昇降機の一番下の部分。今のいわゆるエレベータのようにしっかりとしたカゴがあるわけではなく、機構から推察するに半人力の昇降機のようだ。あまり見たことのない機構だった。昇降機マニアのタレコミお待ちしています。

あと目を引くのがこちら。螺旋状の滑り台のようなものなのだが、これは何に使われていたんでしょうかね。まさか当時の職工が休み時間になったらこれを使って下りてきたとか?取材班はこれも見たことがない。

 

作中に於いて主なテーマが“産業合理化”と言う当時の経済の様子を、労働者の生活や人間模様に焦点を当てた「工場細胞」。その中でテーラー・システムの徹底するために導入されたこの機械群がいまだに残っているのは充分見ごたえがある。

それにしても、当時はH・S工場で働く労働者の下には、さらに“下の労働者”が溢れ工場の労働者は優越感があった。その為、H・S工場で働く従業員は機械の一部として人間扱いされない現実があろうとも、そこからあぶれると“下の労働者”になってしまうために会社からいかに煮え湯を飲まされようが従うしかない。しかも、縁故採用なのでやめる権利なんかない。という労働者の厳しい現実があった。

当時は労働者には他にあてがないことが殆どであるため、完全に泣き寝入りだったわけだ。で、当時から100年経った今でも、その風潮は往々にして残っているように思える。新入社員で入社したら定年退職まで人生の一番大事な部分を社畜として扱われる。進学就職で横道をはみ出すと窓際や非正規雇用、ワーキングプアとなり辛酸をなめるしかない・・とされている・・

「都市景観賞」

そんな裏の歴史のある物件ですら、このように都市景観賞をもらっている。ただ、作者小林多喜二は1933年(昭和8年)、思想犯として特高に捕まり獄中拷問死してしまう。物件は生き残り、作者はなぶり殺し。何たる皮肉なのか。

 

と、ここまで「工場細胞」片手に物件を見てきたわけだが、さすが「蟹工船」を書き上げた小林多喜二だ。このH・S工場や当時の資本主義の内側の様子が刻銘に刻まれていた。このレポだけで作中の迫力をお伝え出来ないのは非常に残念だ。小林多喜二の「工場細胞」は版権が切れていて青空文庫などで無料で読めるので読んで現地を見学してもこれまた一興かもしれん。

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(2020)