【宗教都市】本山専修寺の膝元「一身田町遊郭」の痕跡を探す!【だった】(1)

 

全国裏探訪取材班は、引き続き津市「一身田町」に来ている。何やらこの小さな一身田町は他の場所とは違う歴史があるという。そんな町へと三重県津駅から伊勢鉄道で一駅の東一身田駅へやってきた。

「伊勢鉄道」

「ひがしいしんでん」

津駅から四日市方面へ一駅東一身田駅に到着。ちなみに、並行するJR紀勢本線にも一身田と言う駅がある。どちらの駅もそれぞれ今回の目的地へは同じくらいの距離なので時刻表と相談だ。

この伊勢鉄道線は、線形も良く高架が多く、一部は珍しい非電化の複線となっている。その為幹線級の扱いとなっており、JR線の優等列車特急南紀や快速みえも乗り入れている。

とはいってもこの東一身田駅に関しては、伊勢鉄道のワンマン列車しか停まらず学生や主婦などの生活の足として利用されるにとどまる。

さて駅を降りた取材班はさっそく目的地「一身田町遊郭」に歩みを進める。この一身田町は嘗ては三重の平野部として大昔から農業が盛んだった農村だった。それが様変わりしたのは中世の話。

1469年頃(文明年間)この地に真慧(しんね)が専修寺が建てられるとそののどかな農村が一変していくことになる。

「本山専修寺」

元々この寺は、宗祖親鸞聖人の教えを受け継ぐ寺で、地元では通称高田本山と呼ばれている。中には親鸞の遺骨もあると言われており、浄土真宗の一大拠点でもある。

「御影堂」(手前)「如来堂」(奥)

この本山専修寺の中でも人期は巨大な御影堂や如来堂は国宝に指定されている。御影堂は1666年(寛文六年)に上棟。当然ながら、堂内には親鸞の木像が中央壇上に安置されている。この物件は純和風の二重虹梁組みかつ三つ花懸魚となっており、非常に妙味だ。この意匠は後に高田派寺院の意匠の特徴となっていく。

 

「太鼓門」

その後はこの専修寺を核とし町が発展していく。町の周囲には堀が巡らされ寺内町が形成されていく。さしずめ堀で囲まれた宗教都市だったわけだ。さて、それはどんな堀なのか。地上から見て行きますよ。

取材班はまず、東一身田駅から来た。確かに堀と思しきものが今でもあり、小さな橋が掛けれられている。これは一身田の東側の堀だ。

これが、この一身田を宗教都市として独立させていた堀か。遊郭なんかも堀とか水路を使って結界を張るが、寺内町として宗教の独立を担保する結界も同じく掘りなわけだ。

 

今だからこそ、何人にも犯されない自由の権利があるので、大手を振って寺内町へ往来できるが、当時はそれはそれは厳しいチェックがあったに違いないな。堀の中に行くには、それなりに覚悟が必要だった事だろうな。

「一御田神社」

さすがに寺内町は古い物件が多いな。このどん突きに見える神社は一御田神社(いちみた)といい専修寺ができる農村だった以前の時代からあった神社だ。神社と寺は敵対していた時代もあったと聞くが、どちらも懐の深い教えだったんでしょうかね。

さて、そんな真っ当な宗教都市に見える専修寺の寺内町なのだが、表の顔があれば裏の顔があったらしい。次回はいよいよ「一身田町遊郭」エリアへと入っていきましょうかね。

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(2020)