全国裏探訪取材班は、戦後ドサクサ期のバラック建築を今に残している「一寸島神社」に来ている。一言で一寸島神社と言っても本殿以外に何社もあることに気付くだろうか。
まずこちらの拝殿。どん突きに見える一番目立つ存在だ。
「厳島神社 天満宮」
この辺額を見るには元々は、厳島神社と天満宮が別にあったんですかね。データでは1688年(貞享5年)に弁財天(厳島神社)、1686年(貞享3年)に天満宮がここに遷った。
それが後年1741年(元文6年、寛保元年)合祀されこのような神社になったと考えられる。拝殿から奥の本殿を覗いてみる。なぜか台車の上に供え物が置かれていたりしてるんですが::
裏にはしっかりと本殿があるんですよね。
「稲荷神社」
中には別に稲荷神社もあったりもする。こちらは本殿に比べればかなり安普請だ。鳥居なんか錆びだらけだし。
「木野山神社」
この木野山神社とは元は備前(岡山)初の神社の系譜。確かに香川を岡山は放送局も一緒だったり結びつきが強い。オオカミ(狼)を祀っているという。
参道にある物件のうち、本殿に一番近い物件に関してはまだ人が住んでいそうな雰囲気だ。
参道から見える所にこのように洗濯機が置かれて居たり、物干しざおに衣類が干されて居たり。ここの管理されてる方の住まいですかね。
その参道の間からは、このように路地裏を望むことができるだろう。そこにはプロパンガスや、生活用品がこのように置かれていて、洗濯物もこの通り。決して生活は楽じゃなさそうなんですよね。
参道のバラック物件の裏手に廻ってみようか、。バラックは裏の裏まで続いているようだ。何れも完全に錆が回っており隙間風がピューピュー吹きそうな感じ。
かろうじで、原形を維持しているのだがあと数年であばら家になりそうだな。こりゃ。
ただでさえ安普請なコンクリ瓦の物件に延長する形で、トタン屋根が伸ばされている。これで生活空間を稼ぐのも涙ぐましい努力何ですかね。
とにかくどこを見ても、焦げ茶色。同じ焦げと言っても、丸亀は空襲でまる焦げにはなっていないので古い町が残っていたり、また、空襲にあった近隣の都市から逃れてきたり。未亡人が遊郭に流れてきたり・・そんな条件から放浪者が住み着く条件が揃って居たのかもしれんな。
一時期はこの丸亀の港は、遊郭も2カ所あったり、金刀比羅宮への参拝客などで四国一繁栄していたというのは今は昔。その残骸があちらこちらに見て取ることができる。
ああ、もうこの物件はあばら家になりつつありますね。
最後極めつけはこの路地。いかにも貧困丸出しの空間だ。戦後はもう映画の中や遠い昔の事かと思ったのだが、丸亀に来ると駅前でテーマパークの如く見ることができる。
こんな感じで、たまによそ者を出迎えてくれるキャラクターも居るので、取り壊しとか再開発とかなる前に裏探訪してもいいのかもしれん。
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(2020)