【島が】新宮市「浮島遊郭」跡と被差別部落「春日地区」を散策する!【浮いてる!】(4)

 

全国裏探訪取材班は、新宮市「浮島遊郭」に来ている。和歌山県って天王新地とかトルコ看板でおなじみの東ぶらくり丁ソープ街なんかもあったり公娼も多いのかとも行きや、実は1905年(明治38年)になるまで遊郭は公娼として公式に設置されていなかったんですよね。確かに、冷静に考えれば、天王新地は私娼窟だし、ぶらくり丁の風呂は遊郭とは全く関係ないしな。

で、1905年に公娼が設置されることが議決されるわけですけど、それが和歌山県内の3カ所だけという事だった。それは新宮、串本、白崎だった。ちなみに前回から紹介している全国遊郭案内の和歌山県の欄にはここ新宮の新宮町浮島遊郭と串本の大島村遊郭しか記載がない。もしかすると紀州徳川家は風紀に厳しかったのかもな。

特に、これぞ妓楼っていう物件もあるわけではないのだが、この物件なんかはソレっぽい雰囲気を残す一つだったりもする。

確かに見るからに旅館の佇まいが溢れる。玄関なんかも少し奥まっていて結構豪華な造りなんですよね。これで松なんかがあれば最高なんですけど。

「あづまや」

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「旅館あづまや」

やってなさそうな感じなのだが、旅館あづまやの看板が今でも残る。もしかして転業旅館かなんかもしれん。鬼瓦とか見ても、そんな雰囲気が溢れすぎる。

空撮にて旅館あづまやを確認してみる。完全な妓楼には見えないのだが、それを引きずる要素はあるな。中庭があったり物件の構造だったり。お話を聞きたかったのだが留守だったのが悔やまれる。それかこの屋の主人はもうこの世にはいないのか。

とはいえ、取材班も無収穫で帰ってきたわけではない。しっかり当時を知っているであろう方に話を伺うことができた。

それは浮島の森の案内人だ。本人の意向が分からないため顔出しは差し控えるが、当時の貴重な写真や浮島遊郭だった当時の思い出もお聞かせいただけた。

 

「紀伊新宮町浮島遊郭全景」

案内人はこの写真を見せてくれた。これは絵ハガキか何かか。キャプションは1926年(大正15年)に撮影と書かれてた。これは今で言うと撮影地点は新宮市保健センター方面から浮島遊郭方面を撮ったものだろうか。

そして現代。少し南側に撮影地点がずれているような気がするが、大体の地点と方向はこんな感じだろうか。やはり、先ほどの旅館あづまやは嘗て妓楼だった土地に建っていることは間違いなさそうだ。

案内人に話を伺うと「当時は人が多くてな。俺も当時は小さかったんであれだけど、戦後も新宮で遊ぶっていえばここだったな。」と当時を振り返っていた様子だった。

取材班が赤線廃止後はどんな感じだったんですか?と、聞くと「遊郭と言うのは表向きは無くなったんだけど、それ以降も勝浦とココは隠れて営業しとったな。タクシーの運ちゃんとかに言えば若い女の子も紹介してくれたしな。今でも当時の屋が少しあるんちゃうかな。」と当時の様子や貴重な情報を聞かせいただいた。やはり、遊郭が廃止された後も水面下でやっていたのは間違いないらしい。

だんだん当時の雰囲気もつかめてきたな。さて、次回は全国遊郭案内の続きを見ながら「浮島遊郭」を見ていきましょうか。

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(2020)