【背徳の】三重の桃源郷「渡鹿野島」を現地取材する。【売●島】(2)

全国裏探訪取材班は、三重の“桃源郷”でもあり、●春島とも言われる「渡鹿野島」に裏探訪エクストラ取材員N氏と共に上陸することとなった。まず簡単にこの売●島の成り立ちからお話していく必要があるな。

取材班の上陸前からさっそく出迎えてくれる、島の規模にしては巨大な旅館の数々。

これらの巨大な施設群が江戸時代から脈々と続く歴史を物語っているのは言うまでもない。

元々この志摩地方の的矢湾にある渡鹿野島は、江戸時代上方(大阪)と江戸を結ぶ菱垣廻船の風待ちや退避港として栄え、血気盛んな船乗りたちを相手に遊郭も形成されていくことになる。

その折、“はしりがね”と言う名の遊女が海の男を相手に“商売”を始めたのがこの渡鹿野島のルーツとなっている。はしりかがねと言う語源は諸説あるようだが、はりしかね(針師兼)といい海の男の衣類を修繕する女だったり。とか、はしりかに(走り蟹)といい右往左往働いてお金を稼いでいたから。とか、様々な説があるようだ。

まぁ何れにせよこの島に昔から住んでいた女が、体を売ってそれを生業にしていた歴史があるのは間違えなさそう。当時は“女護ヶ島”とも呼ばれていたようだ。戦前時点で、この遊廓の規模は貸座敷9軒、娼妓21人だったという。ただこの遊郭は売●島の序章に過ぎない。

「わたかの島 観光案内図」

取材班を港で初めて出迎えてくれたものは、劣化しまくった渡鹿野島の観光案内図。

島全体がハート型になっているのがお分かりいただけるだろうか。近年は伊勢志摩サミットもあったり行政などによる浄化活動が活発になり“ハートの島”と言う旗印のもとイメージを挽回しているようだが・・・

取材班は改めて、空撮で渡鹿野島の全景をチェックしてみる事にした。確かにハート型と言われればハート型に見えないわけではないのだが・・歪でちょっと無理がある気がする。

 

最近話題のSNS用の背景だろうか、精いっぱいの渡鹿野島の雰囲気を出そうと必死なのだが・・・・

地元の小学生が作ってレベルの工作レベル。これでは正直SNSに載せたいと思わんだろ・・しかも背景は悪名高きシーサイドホテルつたやの壁面ですからw

夜来たらハート型の電飾が浮かび上がったりするのだろうが、これを昼間見るとげんなりすると言うか冷めるんですよね。

肝心要のスマホ置くスタンドもこんな感じ。潮風が回って錆びだらけになっている。これじゃぁなおさら写真撮る気にならん。ちょっと貶しすぎかもしれんが率直な感想だw

 

「志摩市」

原付のナンバープレートを見ると志摩市ナンバーになっている。一応住所も記載してい置きましょうかね。住所は〒517-0205 三重県志摩市磯部町渡鹿野という所だ。

当然湾外は太平洋に面しているので、東南海地震なんかがあったら壊滅は必至。そのため案内看板の近くには津波から非難する看板が掲げられている。無理もない。

さて、次回からは渡鹿野島の島内の様子をN氏と共に歩きながら、じっくりご覧いただきましょうかね。

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(2019)