全国裏探訪取材班は、橋本遊郭のメインストリートを妓楼を見ながら裏探訪しているわけですが、実は取材班は結構前にもこの橋本遊郭を散歩程度に歩いたことある。その時の写真も交えながら見て行きましょうかね。
「多津美旅館」
また、多津美旅館か。と思われるかもしれないがよく見て欲しい。2007年頃に撮らせていただいた写真なので、少し玄関前も違うことに気付いたと思う。
その多津美旅館の玄関を見ると、扉が開いており中を撮影させていただいた。ほら何かあるでしょ?
さて取材班は中へとはいて行きますよ。おーこれが旅館ですか。男女がダンスをしているステンドグラスがあったり、いわゆる一般的な民宿とは違う雰囲気だな。
それもそのはず。全国裏探訪をよくご覧いただいている熱心な読者ならお分かりだろうが、この旅館は転業旅館と言って、売春防止法が施行され売春が禁止になった以降に、ビジネス旅館として転業されたものだ。いかせん、このように現役で旅館として運営されているところも珍しいわけだが。ちなみにここは昔はダンスホールもあったという。
このステンドグラスも、転業する以前からあった物だ。男と女。その組み合わせで狭い部屋で密な関係ならどうなるのか。そんなことは太古の歴史から決まっているわけだ。それにしても素晴らしい保存状態だな。
これは会計でもするところだったんですかね。素晴らしいステンドグラスと造形。上にある行灯のデザインなんかも完全に今にはない物だ。これは現代でも通用するんじゃないですかね。
「お泊まり 御休憩」「御商談にご利用ください お泊り お一人様 3000円 休憩3000円より」「淀川温泉 旅館 多津美」
ってかこの看板で気になったのだが、お泊まりと休憩って同じ値段なんだな。これっていうのは赤線が廃止された後もソッチ系の商いをやっていたということなんですかね。
で、もう一つ、この看板なんかにも書かれたいるのが「淀川温泉」という文字。これは橋本遊郭の業態変更を表すキーワードではないのだろうか。
元々遊郭しか産業がなかった橋本は、売春防止法以降は業態変更を余儀なくされた。この淀川温泉という名称で再出発を図ろうとし宿屋に転業した例も多かったという。
しかし、淀川温泉で再出発という努力の甲斐も無く、温泉は冷泉しか出出なかった。そのため温泉頼みだったマーケティングの失敗もありすぐに瓦解したという。
結局この地での商いというのは女の力がなければ成り立たなかったというのは、遊女の祟りか何かなのだろうか。栄枯盛衰か。
「正満寺」
遊郭の並ぶ本通りを横道に入ると正満寺という寺がある。もしかしてその遊女も眠っていたりするんですかね。昔は医療体制も脆弱で病死という例も多かっただろうし。いろいろ考えさせられるところだ。
まだまだ橋本遊郭の本通りは中間あたり。まだまだ見て行きますよ。
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(2019)