全国裏探訪取材班は、ズタボロバラックだったり、ゴミダメだったり、ドブ川だったり、極道の事務所だったり、朝鮮系のキリスト教会に老人ホームともう突っ込みどころのオンパレードの朝鮮人部落「トンク」こと東九条を裏探訪しているんですが。さらに見て行きますよ。
相変わらず九条通の高架下の香ばしい光景を見て行きますよ。ボロキレみたいなもんを大量に積んだトラック。廃品回収の親玉ですかね。
さらにウロウロしているとこちらも廃品回収業者ですかね。戦後すぐなんかはかなり多かったみたいだよね。鉄拾いとか鉄奪いとか。
河原町通りまで出るとこちらも結局は廃品回収業者。リサイクルって聞けば聞こえはいいですけどまぁ綺麗な仕事ではないことは確か。
「焼肉 味家 韓国料理」「南同胞会館」
この立派な鉄筋コンクリートの物件。実は南同胞会館という朝鮮人向けの施設だ。まぁ1階は焼肉屋だったりもう突っ込みどころしかない。
「同胞生活・権利のトータルサポート 南同胞生活相談センター」
なるほどここかぁ。日本人でもない朝鮮人に強請りタカリの入れ知恵をしているのは。外人に“権利”ってw
ここにも焼肉屋ですか。しかも恥ずかしげもなくおでん文字を前面に打ち出してるな。
「キムチ 韓国食品専門 カネショウ」
「ホルモンのマルハシ」
それにしても朝鮮系の店ばっかりだな。ここ京都のメインストリート河原町通りですよ?
「玉ちゃん倶楽部」
はい同じ通りにパチ屋です。もうお分かりですよね?ところで、なぜ京都に朝鮮人が多いかを少しお話しさせていただく。基本1910年(明治43年)朝鮮半島を併合した後は多くの朝鮮人は大阪に住んでいた。その時期の京都には若干の伝統工芸に携わる朝鮮人ぐらいだったという。
その後朝鮮人が増えはじめたのは。1937年(昭和12年)日中戦争が始まってきた頃。この頃になると日本国民は兵隊になることが多く京都の電気産業や繊維業の人材が少なくなる。
程なくして、大阪の大量の朝鮮人が京都へ流入してくるが、受け皿から溢れた底辺の朝鮮人は鴨川沿いにバラックを建て始める。北側 崇仁地区とあわせ京都最大の貧民地区となる。
さらに戦後になると、併合は解消され朝鮮は独立。関西での半島への帰国事業の中心は舞鶴港からの引き揚げとなり、大阪の朝鮮人は京都に流入。
しかし、朝鮮戦争の勃発により帰国事業は半中止に追い込まれ。京都で帰国の順番待ちをしていた朝鮮人がここで根を下ろすことになる。なるほどそう歴史か。
新聞配達をする原付の前カゴには朝鮮語で書かれた新聞も大量に積まれてあった。やはりゴキブリと一緒。一匹見つけると相当数の朝鮮人が潜んでいると思った方がいい。
「松ノ木町団地」
最後はこの東九条の南にある松の木団地。陰気臭い団地だな。ここはかつてコリアンバラックを整理した後ここに入居した朝鮮人も相当数いたという。
「ショッピングプラザ サウス9番街」
「株式会社バク」「人権監視委員会」
ショッピングセンターにはいくつかのテナントが入っているが、その名前は“バク”だっり、人権監視委員会だったり。ここももうお分かりですよね?
しかも「バク専用」と書かれた駐車場には軽く1000万円は超える高級車が2台も止まっていた。もう一回言います。もうお分かりですよね?いろんな見えない力があるんでしょうか。
京都屈指のド貧民エリア「トンク」こと東九条のコリアンタウンも貧富の差が広がっているのでしょうか。朝鮮人の闇は深い。
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(2019)