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全国裏探訪取材班は、長野県にやってきた。長野県って世界をまわる取材班でもなかなか縁遠く取材が捗らないエリアなんですよね。
「長野駅駅前」
で今回、長野くんだりまで来た目的なんですけど、長野市内から南へ車で20分ぐらいの所に松代という場所があるらしいんですよね。
そこには、松代大本営跡という物があるらしくそれを目がけて長野市内から取材班は現地へ駒を進める。
「松代大橋」
取材班は千曲川に架かる松代大橋を渡る。ここを渡ったところにある松代という場所は、松代藩の小さな城下町として栄えている歴史情緒のある観光都市だ。
「川中島古戦場」
上杉謙信と武田信玄の川中島の戦いの舞台もこの辺にあるので、歴史好きにはたまらない場所だったりもするんですが、ここは全国裏探訪。単なる歴史探訪ではない。じつはこの松代には松代町民も語りたがらない“裏”歴史があるんですよね。

長野市内は長野盆地と言って平地が多いんですけど、松代界隈まで来ると段々山が見えてきますよ。
ほら、高い山が見えてきましたね。まぁ長野って北アルプスとかあって日本の天井とされている所なんで、険し山が多いわけです。で、かつて大東亜戦争(太平洋戦争)当時その険しい山々を戦術的に利用しよう!っていう計画が持ち上がるんですよね。
大東亜戦争真っただ中の1944年(昭和19年)1月、アメリカ軍の反転攻勢が激しくなってきた。この当時は米軍がニューギニアに上陸、日本軍は攻めの姿勢から守りの姿勢へと戦略変更を余儀なくされる。そこで沿岸沿いで防衛機能の脆弱な首都の東京から、来るべき本土決戦に備え内陸部への中枢機能移転計画を進めていた。
そうこう計画をしていると、同年7月サイパン・テニアン・グアムが陥落、絶対国防圏が崩壊し11月よりB-29による首都の空襲が始まる。その本土決戦濃厚になった11月11日、この松代大本営の着工が始まる。元々この松代地区は養蚕産業が盛んで数百戸の住宅が建っていたようだが、工事が始まり立ち退いたことを悟られないようにほぼ半裸で追い出されたという。
当時地元民にはばれないように松代大本営は“松代倉庫”として建設し始めたが、住人やたら送ってこられる物資を目にし「大本営と陛下が来られる」と勘づいていたという。
さて取材班は現場へ到着しましたよ。現場は山をくり抜いた地下道になっているので、受付にてヘルメットと懐中電灯を借りる必要がある。
「松代大本営跡・象山地下壕」
さて次回は中へと入っていきましょうかね。
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(2008)