全国裏探訪取材班は、前回から仙台に来ている。仙台と言えば仙台浅草とかマニアックなスポットもあったわけです。仙台浅草もそうだけど仙台市街地とかは海岸沿いから内陸にあるので、東日本大震災の津波の影響はそこまでなかった。そればかりか、中心部の国分町なんかは逆に特需が起きたと言うんだからこれまた皮肉な事でもある。
海岸沿いから見た仙台市の様子。煌々としているのがお分かりいただけるだろうか。逆に手前の沿岸部は津波にさらわれ今でも更地が続いている。
今回取材班はそんな仙台市の沿岸部へと車を走らせる。
「蒲生干潟」
目的地は仙台市宮城野区蒲生地区。ここに日本一低い山(独立峰)があると言う。
蒲生干潟を目指して車を走らせる取材班だが、沿岸部はマジで何もない。工事車両がやたら多く、2011年以前にあったとされるものは何もない。建築中の倉庫ぐらいか。
その日本一の山の名前は「日和山」というらしい。現在の標高は3m。どんなビジュアルなのかが気になるところだ。工事現場の盛土くらいの規模なのか、、
現地への道すがら、岩手県陸前高田市の奇跡の一本松みたいな物もあったり。これも津波で生き延びた類ですかね。これはサイボーグではなさそう。
仙台市中心部から約30分ほどだろうか。取材班は現地近くへと到着。
それこそ、奇跡の一本松のような観光地を想像していたのだが、到着したのは工事現場の駐車場のような雰囲気の場所。
その場所では次の災害に備えて防潮堤の建築が進められていた。あ、日当山ってこの先にあるのね、、
防潮堤の上からの模様。防潮堤は高さは6、7mはあるだろうか。てことは日和山ってかなり低いな。
防潮堤を太平洋方面に下り、蒲生干潟を見る。日和山へ続く遊歩道?のようなが伸びている。ここからまだ歩くのか、、ここで歩きながら再度日和山の歴史を辿りましょうかね。
もともと江戸時代から流通といえば海運がメインとして栄えていた。松島のある塩釜湾から仙台へのルートなんかも年貢米や精製塩を運ぶ重要な航路だった。しかし、維新となり近代には鉄道網が発達し、流通としての地位は下がった。
流通の仕事を失った人々は、半農半漁の生活を強いられることになっていく。漁に出るために必ず必要なのは海上の天候(日和り)観測だ。その日和を観測するために1909年(明治42年)に地元民によって作られた人工山がこの日和山な訳だ。なるほどな。
そうこう5分くらい歩いていると、日和山の看板が見えてきましたよ。時間日和山に登山しましょうかね。
#仙台市 #マニアック #ズタボロ #特殊建築 ♯歴史
(2019)