全国裏探訪取材班は、引き続き高知の裏風俗「玉水新地」を徘徊している。基本的にここ玉水新地は遊郭発祥とされているのだが、国道と土手の間の部落にはズタボロのスナック街があったり赤線当時の様子も忍ぶ事ができる。
「カラス」「花みづき」
ここなんかも、令和になったが未だに怪しいスナック街が広がっている。カラスなのにトランプの模様?よーわからん。正面から見てみよう。
いかがだろうか。まさに戦後の赤線そのものといっていいだろう。まだこの地域は水洗ではなくボットンなのか、臭い消しの煙突もそれぞれあがっていますね。キタネーw
この旭町一丁目電停前から土手にかけて薄汚いスナック街がありますよ。この一角だけ世界が異質だ。おそらく、電停で降りた登楼途中の客や、下楼後に一杯ひっかけるスポットだったのだろう。想像に難なくない。
「スナック 夕星 のんき」
こちらは怪しいえんじ色のビニール看板が目を引くな。屋号が途中で変わったのだろうか。書き換えられてはいるが、経年劣化で前の屋号がモロバレになっている。
「花りん」
一部のスナックには擬似防犯カメラを取り付けていたり、、情弱は騙せますが、見る人が見ればモロバレですよw
さて、取材班は玉水新地の内側の部落内へとはいっていく。ここにも、往時の名残のようにバラック風の物件が。
放置された原付、錆びたトタン、豆タイル。当時は一体どんな商いをされていたのだろうか。今は雨戸が閉められ中の様子を窺い知ることはできなかった。
こっちもご覧くださいよ。やばいでしょ?これ?ズタボロすぎる。この辺りの住人の民度。がその辺りから想像できます。
しかし、時間というのは無残なもので、玉水新地の部落内から土手を見ると、空き地だらけ。地元民曰く、この場所にはかつて妓楼がならび、魔窟のようだったという。
ちなみに1930年(昭和5年)刊行の「全国遊廓案内」の記事にはこうある。この玉水新地は“高知市石井町玉水新地遊廓”との表記がある。文中から少し抜粋してみよう。
「(略)鐡道は高知線高知驛で下車すれば約十五丁、駅から西南の方向に當る。又、高知線旭驛で下車すると時は。東方約5町位の處にあるので、旭驛下車の方が便利である。(略)」これを読む限り、今とアクセス方法は変わらないな。市電に関する記載はない様だが・・
「明治五年に初めて許下を得て遊廓を開始して、現今に到つたものであるが、現在では遊廓の貸座敷總軒数は二十七軒、娼妓は二百二十四人居り、送り込み制でなく、全部居稼ぎ制である。店は主に寫眞制であつて、大阪式時間制が普通である。(続)」
「客の廻しは取らない。遊興費は一時間遊びは約一圓八十銭で、泊り込みは遊興費含みで六圓五十銭位迄となる譯である。(続)」
ココにはカフェー風の長屋があるな。
「鏡川」
「特殊の情緒は、土佐の風習として遊興の際或は其の他種々の酒宴の場合には「箸けん」と云ふのをや習慣があつて、非常に興のあるものである。(略)」
現在でも土佐の郷土遊戯、箸けん(又は、はし拳、箸拳とよぶ)は競技大会まで行われることがある。主に御座敷遊びの類のものだ。独自の遊びが生まれるほど四国では一大勢力だったのが窺い知れる。娼妓も200人以上ですからね。
「います 午前9.30-10.00 喫茶店ダメ 夜は7.00 ねています 早寝 早起 4時」
カフェー風の長屋にはやってるかどうかわからないような店があり、その店の玄関には謎の札があった。なんか「います」と書かれた物に、やたら時間や生活スタイルが書き込まれている。まあ、それはいいのだが、漢字も書けない有様。地域柄かまともな教育も受けていないのか“夜”って言う字も亠にタトになってるし、、朝鮮人かなにかですか?
まあ、今感じで色々ツッコミどころ満載なんですが、いったん玉水新地昼探訪は終わりにして、夜の玉水新地裏探訪を次回見て行きましょうかね。
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(2019)