全国裏探訪取材班は、かつて血で塗られた「成田闘争」こと「三里塚闘争」の遺構を探訪すべく成田空港に現地入りしている。
さすが世界一厳重な警戒とされる空港だけあって、警備の仕方がただ事ではないのはお伝えしている通りだ。前回は元反対派のアジトの木の根ペンションに足を運んだ。今回も取材班は、成田空港のあちこちをウロウロしながら現地をレポしたい。
〔35°46’14.1″N 140°23’11.2″E〕
今回取材班が訪れたのは成田空港のど真ん中に位置する場所。分かり易く言えば前にお伝えした、死んでいるけど生きているゾンビ駅旧成田空港駅(現東成田駅)の第5ゲートから出たところらへん。
「第5ゲート 東成田駅入口」
単なる駅の入口に関わらず今でも警備員が詰めている。ただし自動車のゲートや鉄道からのゲートと同じく既に手荷物検査はされていない・
その第5ゲートを出ると警察の関係施設と思しき施設に護送車両があったり・・
ほぼ全面を鉄板で覆われた装甲車両のようなものがあったり、結構物々しい雰囲気が漂う。
高架の下には一時的に入場規制をするようなゲートも残っていたり、かつて何かがあった雰囲気がするんですよね。でこの高架を潜り抜けると見えてきましたよ。
「東京航空局 成田空港事務所」「空港管理ビル」
これは成田空港の中枢。そう、管制塔がある施設だ。中年以上の方ならご存知かも知れないが、この管制塔を反対同盟を支援する極左団体が集団的実力闘争をした場所だ。いわゆる「成田空港管制塔占拠事件」の現場。反対派は「3.26闘争」とか言ったりもするという。
「当時事件現場となった成田空港管制塔」
その事件は、1978年(昭和53年)3月26日に起こった。数日後の3月30日に空港開港を控えていたのだが、突入隊長前田道彦をはじめ極左各方面組織22名で構成された突入部隊が開港を阻止すべく管制塔に突入。ハンマーやバールなどで管制に必要な機器が破壊され開港が2か月遅れた事件だ。
決行当時、陽動作戦として空港外での過激な抗議活動で、警察の機動隊の大部分を張り付けさせ、突入部隊は手薄になった空港敷地に対して地下の排水溝から空港管理棟へ侵入。
22名で構成されていた突入部隊、通称“赤ヘル部隊”だが度重なる警官との対峙、火炎瓶を投げつつも殿を漸減しながら管制塔に到達。最後に管制塔上層階に進入したのは内15名だった。ちなみにこの騒乱で日本革命的共産主義者同盟(第四インターナショナル)の1名が大やけどを負って命を落とした。まさに地で塗られた空港になってしまう。
結果それらの暴挙が引き金となり、「新東京国際空港の安全確保に関する緊急処置法」が議員立法により全会一致で可決。空港もほとんど完成し、空港建設反対派の勢いが一気に弱まった行くことになる。
次回もその後の三里塚闘争の遺構を見に行きますよ。
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(2019)