全国裏探訪取材班は、北陸3県の最果て、富山県泊の「神田新地」を目指している。今では住宅地が広がっているが、ここが完成した当時は田園の中に突如出現したという。取材班は、泊の住宅街を抜け現地に向かった。
取材班は石畳の神田新地と思われる路地に入る。戸建ての前に立派な松が・・ここはもしや完全に神田新地ですね。
その隣には立派な物件が。2階の窓には手すり、そして円窓。ここは地元民が言うには、神田新地の泊料亭協同組合検番らしい。
「泊料亭協同組合」
2階はどうやら今でも芸の稽古場になっているようで、“泊芸妓”の伝統を今でも継承し、何人かは現役の方たちがいるようだ。
「新地創立記念碑 明治三十二年九月建立」
その泊料亭協同組合の前にはこのような碑もある。どうやらこの神田新地は1899年(明治32年)から存在する様だ。
ちなみに昭和初期刊行の遊郭歩きのバイブル「全国遊郭案内」にはこうある。
“泊町神田新地 は―(中略)―北陸線泊驛下車東北へ約十二丁、一寸人里離れた田園の中にあるが―(中略)―斯んな野趣に富んだ處丈けに、勿論一廓の遊廓を成して居て、藝妓の置屋もあれば、調理店も廓内に在る”
なるほど、現在の神田新地の場所も一致するし、ここはやはり当時からある場所に間違いないようだ。現在の神田新地も地区内に料理屋があったりするから当時と変わらんわけか。
「料亭 月見家」
“勿論͡͡茲の遊廓は、宿場が發展したものに相違は無いが、精しい沿革は判明していない。現在揚屋(貸座敷)は六軒あつて、娼妓は十二人居る。置屋は全部陰店式で、娼妓は總て送り込み制を採つて居る”
サックの検番前の石碑には明治からと書かれているが、全国遊郭案内では沿革の詳しいことは分からないという。もちろん昭和初期にはこの石碑もあったわけで、もしかすると1899年(明治32年)以前の詳しい沿革が不明という事か。
今は見る限り、物件も立て替えして代替わりしていそうだが、往時の雰囲気を色濃く残す物件がある。これなんかもそうだよね。2階の障子が盛大に破けていると思いきや・・
これはおそらくコウモリの意匠だろうか。何やら怪しい雰囲気を醸し出すにはぴったりの演出だな。当時の日本人はこのコウモリというのは長寿とか子だくさんの象徴でポジティブな意味にも使われていたとか。日本人ってこういうところがお洒落ですよね。そういや米子花園町「灘町遊郭跡」にもコウモリありましたよね。
引いて改めて見る。やっぱこのコウモリの意匠がある妓楼は結構迫力があるな。一階の出入り口がアルミサッシなのが残念だが・・
ここをよく見るとなにやらプレートが色々貼られているのが分かる。どれどれ・・
「泊商工會推薦優良店」「満十八才未満の方は御入店を お断り致します」「防犯協力の店」
お決まりの18禁プレートが貼られてんな。今となってはそんな怪しい雰囲気は無い為、なぜ18禁なの?と小中学生に聞かれると答えに窮するな。
あほ犬がワンワン吠えてクソ五月蠅いのだが、次回もこの神田新地をじっくりと観察していこうと思う。
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(2016)