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全国裏探訪取材班は、新潟市西蒲区の越後七浦シーサイドラインを南に走っている。今回の目的地はその途中にある「角海浜」だ。
シーサイドラインを角田浜から走っていくと、小浜トンネルというトンあるがありその上は大きな岩山があるのだが、取材班はその上に登った。
「立岩」
その七浦海岸の象徴的存在である立岩も、この岩山の上から綺麗にみられる。くれぐれも転落には注意だが。
そして、立岩方面に今回の目的地「角海浜」が遠く見ることができるな。
少し寄りの写真を掲載する。左にシーサイドラインが見える。そのシーサイドラインの下に小さな集落が見えると思う。この集落が角海浜の一つ北側に位置する「五ケ浜」と言われる集落だ、で、シーサイドラインの右に奥に延びる砂浜が見えるだろうか。ここがまさに今回の目的地「角海浜」だ。

「五ケ浜第2駐車場」
言わば「五ケ浜」と「角海浜」は兄弟集落というわけだ。このそれぞれどちらも元々は1889年(明治22年)4月1日に「五ケ浜村」と「角海浜村」として発足したが、1901年(明治34年)に合併し「浦浜村」となりそれぞれ消滅した。その浦浜村もその後、巻町、新潟市と合併が繰り返され今に至る。
〔GoogleMapより引用〕
再度地図を見て行こう、この地図を見てもわかるように現在は五ケ浜には集落があるが、角海浜には集落が無いことが分かると思う。実はこの角海浜というのは“マクリダシ”(波欠け)と言われる自然現象で村の殆どが海に沈んでしまった歴史がある。
この角海浜の歴史は中世にまで遡る。諸説ある様なのだが、時代は江戸時代、南の能登の国での生活に耐え兼ねこの角海浜に定住したというものや、角海=隠れ海という形で、落ち人が隠れに来るところとして角海浜となったとするなどの説がある。どっちにしてもネガティブだな・・
「現在の五ケ浜の様子」
今現在の角海浜には、集落は皆無になってしまったので往時の痕跡はほぼ失われてしまったのだが、この兄弟集落五ケ浜の様子を見れば、かつての角海浜の大体のイメージがつかめると思う。
「歓迎 喜楽館」
元々は村なので、スーパーマーケットも無ければ娯楽施設とかもない。最低限の設備しか今の五ケ浜には無い。最低限しかない五ケ浜も何もなくなった角海浜を見ればかなり都会に移るはずだ。
次回、いよいよ角海浜エリアへと侵入していく。楽しみください。
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(2017)