全国裏探訪取材班は、かつて秋田を支えた重要交易拠点「土崎港」に来ている。当然港があり交易が盛んになれば当然ソッチ系の方も盛り上がるのは、古今東西至極まっとうな事なのだろう。当地には「土崎遊郭」と言うものがあったらしく、1930年(昭和5年)に発刊された全国遊郭案内にも記載されている。
「古井輪業」
港の銀水がある通りは銀行や病院、商店が立ち並びいわばメインストリートか。
「ベビー用品 かがや」
ここもディズニーの版権無視パターンか。他に確か101匹わんちゃんもいたな。で、ここを南に行ったところに怪しいスナック街などがある。
住所でいえば、秋田市土崎港中央1丁目になるのだろうか。この辺にどうやら、スナックや焼肉屋などがまとめてあるな。
「山道ビル飲食街」
例の全国遊郭案内にはこう書かれていた。「土崎遊廓は秋田縣土崎港新柳町にあって、御物川の河口に位し――(中略)――此の遊廓は文政4年頃に始まったものであるが、火災の為に盛大だった昔の観を失って――」とあるな。
地図で新柳町と検索しても出なかったので、取材班はこの新柳町と言うのは今の住所ではどこに互換するのかを調べた。そうすると、新柳町=中央1・2丁目とある。まさにこのエリアだ。もしかするとここら辺の飲み屋街は、土崎遊郭のその名残で、存在するのかもしれん。この山道ビル裏手にもごく小規模な飲み屋小路があった。
「土崎港中央1丁目」
どうやらこの辺にはかつて「土崎遊廓」のあったには間違いないらしい。
土蔵を改築した飲み屋。これまた変わった建物だな。こんな改築今まで見たことないな。
「焼肉の松園駐車場」
アチャラからの引揚者だろうか。当然海の向こうは半島と大陸ですからね。焼肉屋があるのも頷ける。
「あそこ」
安普請の妓楼と言えばそう見えなくもない。あそこ。考えようによってはソッチ系のネーミングのように聞こえなくもない。まぁ取り立ててこれ以上面白い建物や街並みは無いのだが、それも時代背景を考えると仕方ないのかもしれん。
遊郭案内の中でもあったが、土崎遊郭が成立してからも火災があり焼失。戦前この辺りには八橋油田と言う当時国内有数の油田地帯があり、日本鉱業や日石の製油所などがあった。戦中末期は標的となり1945年(昭和20年)8月14日から15日未明にかけ土崎空襲として大東亜戦争(太平洋戦争)最後の空襲であり、秋田県唯一の空襲を受けた。死者も300人ほど出ており土崎港を中心に街にも大きな被害が出たようだ。数度にわたる悲運で当時の遊郭の面影はスナック街として残すのみとなってしまった。
「秋田市の発展は秋田港から」
中心街は秋田市街地だが、数々の歴史の裏舞台で活躍したこの土崎。このようなお題目を掲げる秋田港の休憩スポットもあったな。
そして取材班を横目に、うまそうにうどんを食べる、トラックの運ちゃん。あれ?気づいたらうどん屋はありませんが・・・
「うどん そば」
うどんとそばの自販機でした。まだあるんですねこの機械。結構レアな気がする。
お腹を空かせた取材班は、そんな風景を横目に土崎港を後にする。今度は元油田地帯などを探訪してもいいかもな。
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(2014)