【陸軍の】“ならばペリーを連れてこい!”満州事変を画策し、原爆の誕生を予見した「石原莞爾」の新旧霊廟を見に行く。【異端児】(3)

全国裏探訪取材班は、「石原莞爾」終焉の地、山形県遊佐町に来ている。所で皆さんはかつての大東亜戦争(いわゆる太平洋戦争)がどのように終結したかはご存じだろう。そう、航空機による全国各都市への無差別爆撃と、原子爆弾だ。実は今回の石原莞爾は、この2つの兵器の出現を戦争が終結する30年前に既に「世界最終戦論」として予見していた。

「石原莞爾新霊廟(墓)」

旧霊廟は1982年(昭和57年)に国道7号線吹浦バイパスが着工。それに伴い旧霊廟が保安林となり墓地として供用できなくなったので、同氏の方々が、国道と正反対の場所に土地を購入。いわゆる墓としての機能が新しい方に移され旧霊廟は現在も遺跡のように保管されている。

「南無妙法蓮華経」

こちらも旧霊廟と同じお題目が書かれている。特徴的な円形墳墓の意匠は生前石原莞爾先生が自分で考案されたものらしい。

大東亜戦争は見事に惨敗し進駐軍が上陸してきた。1947年(昭和22年)極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判が開かれることになる。ご存知の通り対立していた東條英機はいわゆるA級戦犯として起訴された。当然この裁判は石原莞爾にまで証人として出廷を求められる。ただこの時石原は病床のため出廷できず、東京裁判の出張法廷として酒田臨時法廷が開設されることになる。

「永久平和」「都市解体 農工一体 簡素生活」

戦後、石原莞爾が目指した日本復興を願う3標語が書かれている。

自宅を出て吹浦駅に出発する石原莞爾。酒田臨時法廷では医師の判断で和服での入廷、火鉢の使用、看護婦の随行が許可された。写真背後に移る婦人が随行の看護師ら。

石原と同じく満州事変を実行した、いわゆるA級戦犯板垣征四郎の弁護側証人として出廷した。石原は黒の軍服の下に和服、戦闘帽をかぶり出廷。

「同志之霊碑」

酒田臨時法廷が始まる。冒頭裁判長は石原に「尋問の前に何か言いたいことはないか」と聞く。石原は「満州事変は私の命令で始めた。戦犯に指名されないのはなぜか。おかしい。」裁判長は「ジェネラル(石原将軍)は戦犯ではなく、証人として取り調べる。証人はそんなことは言わずにイエスかノーで答えよ」と言う。裁判長は質問を続ける「満州事変時の階級を答えよ」石原は「それはイエスノーでは答えられない」と皮肉る。裁判長は狼狽え「自由に発言していただいて結構です」と言った。現役を引退し数年が経ち、病を押して出廷したが石原は冴え渡っていたようだ。

この時石原は「満州事変は中国軍の攻撃に起因し、本庄繁関東軍司令官の決断による自衛権の発動である」と強調。法廷では石原が「アメリカは日本の戦争責任をいつまで遡って追及するつもりか」と尋ねると裁判長は「できれば日清・日露戦争まで裁きたい」と回答。すかさず石原は「ならば、ペリーを連れてこい。我ら日本は鎖国していたんだ。それを無理に開国させたのはお前らだろう」と論破。

さらに東條を有罪にしたい質問で「ジェネラル(東條)は、東條英機と思想上の対立があったようだが?」に対し石原は「対立は無い」。「そんなはずはない。対立したいたはずだ」との指摘に対し、石原は「対立はしていた。ただ、思想上の対立は無い。私には少なくとも思想と言うものがあったが、東條の馬鹿には思想なんてなかった」と答える。裁判長は続けて「この戦争で最も罪の重い戦争犯罪者は誰だと思いますか」と投げかける。裁判長は東條英機と答えると確信していたが、石原は「国際法で、非戦闘員への無差別爆撃は禁止されているのに、トルーマンは一般人を爆撃し、広島、長崎に原子爆弾を落とした。トルーマンこそ第一級の戦争犯罪人である」と全く臆することなく痛烈に批判した。当然このくだりは公式記録にはなく、若干の誤差があるのはご了承いただくが概ねこのようなやり取りがあったことは確かだ。

 

今でもここ新霊廟には小屋が建てられ、詳しい石原莞爾の文献などが置かれている。石原莞爾が生前利用していた椅子も、今でも自由に座ることができる。

そんな近代の激動の時代を潜り抜けた石原莞爾には、今も根強いファンがたくさんおり全国から多くの参拝者がいる。芳名録には、石原閣下に対してそれぞれ思い思いの文面が綴られていた。

戦後、石原の率いた東亜連盟はGHQに解体させられ、最終的に石原はこの庄内の地に「西山農場」を開墾、同志と共同生活を送るのであった。奇しくも石原は終戦のちょうど4年後の1949年(昭和24年)8月15日にこの世を去った。

石原莞爾に関しては、3ページで紹介なんかとてもできる人物ではないので、興味があればもっと調べてほしいところだ。昭和の裏歴史には欠かすことのできない人物だ。取材班は霊廟を探訪しそんなキレ者かつ破天荒な人生を振り返った。合掌。

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(2013)