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全国裏探訪取材班は、大阪五大新地の一つに数えられる「今里新地」に来ている。関東の読者の方は一概に“新地”と言われてもピンとこないだろう。まぁ早い話は“ちょんの間”だ。大まかにはかつて花街や遊郭だった場所が、売防法施行後に○○旅館。や△△料理屋。としてピンクな営業を続けている場所だ。
「新地中央通会」(今里新地)
ということで取材班はさっそく今里新地中心街へと足を延ばした。
「今里新地」
大阪都心より今里新地へのアクセスは何種類かあり、近鉄線でのアクセスが一番早く近鉄今里駅から5~10分ぐらいか。他に当地の名前を冠した、地下鉄今里筋線や千日前線がある。
「今里花街組合」
飛田新地に飛田新地料理組合があるように、こちらの今里新地は今里花街組合か。現代にしてはなかなかトラディショナルな風流な趣の名前だな。純和風の感じだ。イカしてんな。
今里新地の一角。このような赤線チックな建物が今でも健在だ。
元々、この今里新地の始まりは昭和初期まで遡る。時は1929年(昭和4年)。この時初めて花街としての歴史が始まる。
新築講評分譲中と幟が上がっているが、この今里新地の開発に関して実は最も関わっているのが、沿線を走る近鉄だ。現近鉄こと、当時の大阪電気軌道は当時三府の一つである大阪発展を見越し、沿線開発としてここに一大売春施設を作ることを画策する。すごいな。
一概に売春施設。と言っても形は様々で、ここ今里新地に関しては芸妓居住地として発展。傍目は娼妓ではなく、芸妓なので遊郭ではなかったのだが、ここの料理店は、いわゆる“待合”もできるものであり、料理店とはいえ仕出しで対応することが多かったという。
当然、待合とはいえ、宿泊も可能な造りとなっているので、客はそこに訪れた芸妓という名の“娼妓”と宿泊する例も多々あったという。とすれば、それはもう貸座敷。と言ってもいいのではないだろうか。 事実上の遊郭である。実はこの形態は今でも続いているというのだ・・・
そんな大阪独特の遊郭の形態だが、元は沿線開発だったというのも驚きだよな。まさか沿線開発の祖、阪急の小林一三の遊郭版だったのかもしれんな。ほんと今ではとんでもない話だが、当時はそんなことは寛容だった時代だったのだろう。
次回は、その今里新地の現在の様子をじっくり見て行きたいと思う。乞うご期待。
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(2018)
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