全国裏探訪取材班は、改めて女将に時期時期に取材したりしていくうちに、「みぎた旅館」はかつて「松重旅館」と言っていた時期があり、戦前戦中は徳山海軍燃料廠の将校宿泊所だったということが分かった。前回は外観を中心にお伝えしたのだが、今回は明るい時間に改めて内観を見て行きたいと思う。
昼間の玄関の雰囲気。多少のリノベーションはしているだろうが、窓の格子、上の通気窓の模様などやはり将校にふさわしいものだろうな。
≪1階館内の様子の動画≫
いかがだろうか。館内の雰囲気がお分かりいただけると思う。中庭にはかつては鯉が泳いでいたようだ、中庭側の縁側も凝った意匠があることが伺える。
館内のあちらこちらは、網代編みによって装飾が施されている。最近のアッ!と言う間に建ってしまう住宅ではこんな凝った建具は無いよな。
1階には広間が2つあり、それぞれ20人くらいが宴会できる2間の広さの会場がある。少し前まで有名な先生の掛け軸があったというが、女将曰く盗難に遭ったらしい。
1階の大広間から外を見ると、内部からも庭園を挟み高い塀が見える。
≪2階館内の様子の動画≫
こちらの映像は、女将に許可を頂き、2階に上がらせていただいた。2階は1階とは違い少し天井が高く、窓からも塀が見えず開放的。しかも当時の造形が1階よりも残っていると思われる。
純和風の造りは2階も変わりはない。どこを切り取っても絵になる。
広縁との仕切りの部分も細かい。これはおそらく当時からのものだろう。
菊の紋章があしらわれた造形と、細かい縦線が目を引く。軍人御用達の名残がここに残っている。スバラシイ。
2階から見た一回の塀の様子。ごみだらけで汚いが、まぁこんなもんだろう。ちなみに、徳山は大東亜戦争末期の1945年(昭和20年)5月10日午前10時、中国地方に来襲した180機以上のB-29のうち、80機は徳山市第三海軍燃料廠を1時間以上爆撃。燃料廠は完全に破壊され500名以上の死者が出た。
破壊された「第三海軍燃料廠」
それから約2か月後の7月26日午後11時、再び100機以上のB-29が来襲。焼夷弾と爆弾を用いた夜間での爆撃であり、徳山市街地は一晩で市街地の9割以上を焼失した。
それにも関わらず、この市街地の旅館が無事だったのは、もしかするとこの高い塀のおかげで火が燃え移らず助かったのかもしれない。
「ピピ510」
ここは現在、徳山商店連合協同組合の運営する駐車場なのだが、元女将が曰くここもかつては「松政旅館」と言う高級割烹料亭も兼ねた宿泊所だったらしい。ただ1971年(昭和47年)に現在の駐車場になった。ちなみに山口県で有名な湯田温泉の「松政」はここの流れを汲むという。
いかがだっただろうか。女将は私の目の黒いうちは営業を続ける。と言っていたが、逆に言えば・・そういうことなので、徳山で宿に困ったとき。少しでも“軍資金”を抑えて旅行あしたい時はもってこいなのかもしれない。もちろん、悠久の歴史を肌で感じるのもこれまた一興だ。
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(2019)