全国裏探訪取材班は、福岡県大刀洗町に来ている。知らない読者にまず、大刀洗町をざっくり説明しようか。
「たちあらい 甘木鉄道」
大刀洗町とはもともと“太刀洗”という筑後国の中にあった地名だ。南北朝時代の1359年(天平14年)筑後川の戦いで負傷した菊池武光が、刀についた血糊を川で洗った場所として、太刀を洗う。太刀洗。となった。
それから、近代になり市町村が発足。色々な手違いで太刀洗が大刀洗という表記になってしまったという。現代においてもここでは太刀洗と大刀洗の表記がそこら中に混雑している。
大正時代に入ると、大日本帝国陸軍によって飛行場建設の計画が持ち上がり、敵艦隊に晒されないよう海岸から距離が遠く離れており、かつ筑後平野の広大な敷地を利用したこの土地に「大刀洗陸軍飛行場」が完成。完成当時は東洋一の航空拠点と言われた。
現在はキリンビール福岡工場に転用されている。
「第五航空教育隊」門柱
1939年(昭和14年)、第五航空教育隊、別名西部百部隊が開隊。6000名の航空技術兵が集まった。
「非核・恒久平和都市宣言の街 筑前町」
その門柱の前には、反戦の看板。こういうのを見る度に何か違うな。と思ったりもするな。
この辺の住宅地では、このような新しい戸建住宅でも、しっかり国旗を掲げている。盲目な愛国だけが良くないし意味ないと思うが、この地域は歴史のある土地柄確実な認識を持っているのだあろう。
「甘木鉄道 太刀洗駅」
ここも同じく1939年(昭和14年)に国鉄甘木線として開業。事実上の軍用路線となる。この駅は“別れの駅”とも言われ、戦時中は毎日2万人の軍族がこの駅を利用した。戦地へ赴く軍人とその家族がここで別れを惜しんだという。
以降は戦後キリンビールの専用引き込み線なども整備された。そういえば、甘木方面に往時の石造のホームも残ってるな。
「筑前町立 大刀洗平和記念館」
ここには、元大刀洗陸軍飛行場に建てられている。さらに、零戦が展示されているという。今回のテーマである掩体壕の中身はどの様な機体であったのか見ていこう。
「零式艦上戦闘機32型 Y2-128」
館内の撮影は禁止なのだがこの零戦だけは撮影可能だ。この零戦はマーシャル諸島、マロエラップ環礁のタロア島にて被弾・放置されていた零戦32型で現存する機体では唯一ここのみという。
この大刀洗平和記念館は零戦以外もたくさんの展示があるが、次回は特にこの零戦の性能や今までの経緯を見ていきたいと思う。
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(2018)