殺人事件も!【まるで】京都駅から徒歩5分、関西有数の被差別部落「崇仁地区」を歩く。【迷路】(2)

 

全国裏探訪取材班は、観光都市京都にいる。観光都市京都と言われれば、長い歴史を紡いだ、歴史的建造物。そしておいしい料理。など、風光明媚で華麗なイメージがあるが、長い歴史を紡いできたのは、良い側面ばかりではない。そんな京都のアンダーグラウンドでDEEPな京都案内をしていこうと思う。

「崇仁地区」はこのようにフェンスがとても多い。

そして、この地区の成り立ちは諸説あるが、有力に一説はこうだ。この崇仁地区東側を流れる鴨川の上流にはあの有名な三条大橋などがある、三条、鴨川と来れば、そう“三条河原”。数々の有名な処刑の場となった地だ。

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もちろんこの処刑の数々も、罪人を世話をする人間が必要だ。刑の執行、執行後の処理、埋葬。これらすべて士農工商より下の身分。すなわち、現代でい穢多・非人と言われていた人たちがやっていたわけだ。

その別名は“河原者”とも呼ばれていたようで、それらの人々は最初六条河原での居住を許されたが、その後現在の七条に移って来た。それが大体の「崇仁地区」のルーツだ。

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当然、河原者も無意味に鴨川の近くに住んでいたわけではない。穢多・非人などは総じて、川の下流や谷底、池、海沿いなど水辺の厳しい環境に置かれていた。彼らの主な生業は、家畜の塗擦やその皮の鞣しや洗浄、加工をしていたため、多く大量の水が必要だったようだ。そのため劣悪ではあるがこの地に住んでいた。

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明治以降は、新政府の元、士農工商は四民平等の“平民”として、制度上無くなった。ただし、士農工商などは、武士なら武士。町人なら町人。という職業独占を失ってしまう。しかし、穢多・非人は平民扱いにするため“新平民”と称し、彼らには従来通り、皮革加工、その他特殊業種を占有する権利を与えられる者もいたという。

その為、士農工商のみ職業の保証から放り出され、従来の“特権”を与えられ続ける新平民に対して、逆に差別意識が生まれる原因になった。

 

七条沿いの崇仁地区境界に建てられたマンション。南側の崇仁地区と隔てるバルコニーには「忍び返し」が取り付けられ防犯レベルが上がっている。

現在でも鴨川の西側に立っている。「京都市崇仁市営住宅群」。

この問題は、現代においても続いているのかもしれない。根深いな。

次回も引き続き崇仁地区をお伝えする。

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(2018)