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全国裏探訪取材班は引き続き「大分の埋もれる潜伏キリシタン関連遺産」を取材している。
現在は、豊後大野市清川町伏野のキリシタン墓に、草木を倒し、道なき道を進み現場にたどり着いた。
「伏野キリシタン墓」
竹林に覆われたその墓地は荒れ放題。目を凝らし十字架などが刻まれていないか確認するが見つからない。
日本式の墓と混ざっているため、判断が難しいな。
これは「伏墓」のような形状にも見える。
このような丸型の和式の墓石もある。唯一自立していた。

刻銘されているが、詳細までは読めない。しかし・・
「大友家臣」と読める。キリシタン大名として有名な大友氏の家臣ならば充分キリシタン説はあるな。これで一定の取材はできたか。
そこで取材班は、前回もお伝えしたように「五○~六○メートル東方にも布施野一族のキリシタン墓」があるとのことなのでその方角を少し探訪してみる。
ここも草木が生い茂り調査は難航した。結果、記載のようなキリシタン墓は見つけられなかったが、うっそうとした森の中に石垣があり、かつて住居だったような跡が見られた。
建物だった後の基礎が残る。
風呂場?のタイルのようなものも見つかった。完全に住居跡だ。布施野(伏野)氏の拠点かどうかは分からなかった。
一旦、伏野キリシタンの調査は切り上げ、次のスポット探しに行った。
次は、豊後大野市緒方町上冬原。ここにも明確に十字架の描かれた墓が眠っているらしい。早速周囲を探索する。
〔32°54’56.2″N 131°26’20.7″E〕
すぐにそれらしい、木に隠された墓群を発見。
それらしい墓なのだが、あまりにすぐ見つけたため“隠れ”要素は少ないな。
じっくりと観察していくが、どちらかと言うと日本式で十字架などはない。
こちらの墓石も、怪しいが、十字は見つからない・・ここではないのか・・周囲を更に探索する事に。これが隠れキリシタン取材の醍醐味だな。さぁ!探すぞ~(笑)
〔32°54’54.4″N 131°26’22.0″E〕
周囲で探して歩き回ること15分。不自然に木が立っている。根元を見てみると墓石らしい影があった。さらに近寄ってみる。
法面に立つ木で覆い隠されるようにキリシタンの物と思しき墓がある。よく見てみると・・
ガッツリ赤色で十字がエンボス状に描かれている。しかしよく見ると“+”ではなく“土”のような意匠になっている。“土”とすることで役人が来ても「土地の神様」とか言ってごまかす為だろうか。想像は尽きない。何れにせよ信仰の対象となっていることは間違いない。
しかし、この上冬原キリシタン墓も伏野キリシタン墓も管理されていないな。伏野なんか看板がなくなってしまえばもはやたどり着けないかも・・管理と保全。こういうきわどいスポットは難しい課題だな。
この後も「大分の埋もれる潜伏キリシタン関連遺産」は続きます。
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(2018)