【うまいこと】昭和闇市発祥「河原町繊維問屋街」を訪ねる。【リノベーション】(2)

全国裏探訪取材班は、別件で取材に熊本に来ているが「河原町繊維問屋街」という元は闇市発祥のスポットがあるというので探索している。

繊維街の建物内にある共同便所。鉄筋コンクリートには苔のような汚れをまとい映画のセットのような雰囲気を醸し出す。

「定休日 毎週 日曜日 河原町繊維卸商組合」直に太陽が当たらないためか、比較的の中の看板の保存状態は良好。昔ながらのフォントが良い。

問屋の看板が上がっているところはあるが、これらの店はすべて閉店済み。シャッターが並んでいる。

建物のコンディションは比較的良い方だと思うが、一部部はこのように崩れそうになっている。次の地震は持たないかもな。

河原町繊維問屋街奥の白川側は建物の基礎が残るだけで空き地。駐車場として活用されている。2016年にあった火災で4件が全焼してしまったらしい。以前は繊維街が続いていたんだろうか。
「髙給セーター 卸 萬 ブラウス 後藤商店」高級の“髙”がはしご高になっているところがまた年代を感じさせる。

いかにも古そうな階段の造りだ。2階に上がってみると立ち入り禁止の文字が・・2016年の火事の影響で立ち入り禁止になったっぽい。

そしてこの「河原町繊維問屋街」は、記事の通りシャッター通りとなっていたが、問屋街を若い芸術家たちを集め町おこしとして始めたプロジェクトがあるようで、このように昭和空間とアート空間が融合する部分も一部あるようだ。出店賃料も安いようで居心地がいいので住み着いているんだろうか。

 

いずれにせよ、建物が維持管理されるのはいいことだ。

ほどなく西日が差してきた。ほー。設計通り採光されている。

前編にあった壁の絵画はどうかと思うが、このように全面の塗装はそのままなのがいい。再塗装したりするとこの独特さがなくなってしまうことを、若い芸術家たちは理解しているのか。は、わからないが感性はいいのだろう。

河原町繊維問屋街南側はこのように取り壊されている。2016年焼けて更地になったエリア、南側のエリアなどを含めると結構規模の大きな問屋街だったことが分かる。

今まで見て来た古い河原町繊維問屋街の道を挟んだ前には、比較的新しいい問屋が並ぶ。すべて閉まっている。

 

軽くお茶ができるような喫茶?もある。

西側に並行して走る道路脇にも「古荘帽子」店内を覗いたがここも問屋のよう。

市電沿いにも「糸久」がある。これも服飾系だ。地位一帯が卸問屋街だったが、時代の流れで次々撤退。このように儲かって細々とやっている独立系の問屋や、集合体の河原町繊維問屋街が生きのこったわけだ。
熊本でショッピングと言えば“鶴屋”もいいけど、ここは、小売りも多少やっていそうなので、ぜひ寄ってみて。アート系もあります。

#熊本市 #歴史 #ズタボロ #アーケード
(2018)