全国裏探訪取材班は引き続き北海道の南、道南地区を遊弋している。
北海道の冬はとても厳しいのだが、本州へ引き返すつもりもなく北海道最南端を探訪したいと色々調べてみると、かれこれ30年ぐらい前まで、北海道南部を回り松前まで伸びた国鉄の路線があったらしい。その「松前線」とやららがどんな路線だったのか・・その痕跡を辿ってみる。
〔41°40’38.5″N 140°26’06.8″E〕今回まずやって来たのが「木古内駅」。数年前北海道新幹線が開業。青函トンネルを抜け北海道に入っての初めての駅だ。かつてはこの木古内駅に、松前線(福島線)と江差線が接続していた。
1970年代に地図には中央、木古内から松前までが描かれている。
松前線は、木古内駅-森越駅-渡島知内駅-重内駅-湯ノ里駅-千軒駅-渡島福島駅-白符駅-渡島吉岡駅-渡島大沢駅-及部駅-松前駅の12駅が1988年(昭和63年)2月1日に全線廃止となった。
今回は、1912年(大正元年)に「木古内ヨリ分岐シテ大島ニ至ル鉄道」として制定され、以後部分開業しながら、1942年(昭和17年)に国有鉄道の福山線(ふくやません)として開通した渡島吉岡駅までを簡単ではあるが、辿ってゆく。
ちなみに、松前から先が青線の“未成線”部分だ。この未成線の部分は、未成線でありながら、用地改修および地盤工事がほぼ終わっていたようだ。後ほどお伝えする。
〔41°40’31.8″N 140°25’54.0″E〕奥左の建物が北海道新幹線木古内駅。写真中央は在来線の駅だ。手前側が海峡線青森方面。旧松前線は、木古内駅を出発後、途中まで海峡線と同じ路線を使い、途中で分岐していた。
〔41°37’26.2″N 140°25’36.1″E〕森越駅-渡島知内駅間の旧松前線の土手。森越生活改善センター近くの土手。生活改善センターというネーミングが厳しい北国らしい。
〔41°37’22.3″N 140°25’35.2″E〕森越駅-渡島知内駅間。鉄橋が今でも残る。
〔41°36’20.4″N 140°25’28.3″E〕渡島知内駅(おしましりうち)。裏に回ってみたが遺構は全くなかった。松前方面を見ると新しく宅地にもなっている。
〔41°31’36.3″N 140°14’31.6″E〕千軒駅-渡島福島駅間。悲しく速度標識が残る。勾配の向こうにカーブがある為かかなり制限スピードが遅い。
〔41°31’09.0″N 140°14’31.6″E〕千軒駅-渡島福島駅間。今にも列車が走ってきそうな雰囲気だ。
〔41°28’03.8″N 140°14’46.1″E〕渡島福島駅 – 白符駅間。左の土手が廃線跡だ。2008年に福島町立福島小学校へ統合となり閉校になっている。
校庭から廃線跡土手を望む。子供たちが校庭を駆け回り、奥に鉄道が横切る。そんな姿が想像できる。
〔41°26’32.0″N 140°14’07.5″E〕トンネルメモリアルパーク。ここは直下を走る青函トンネルの吉岡定点(旧吉岡海底駅)があり、地上には様々な設備がある。
また、旧松前線の渡島吉岡駅は採石会社の作業場になっている為これといった痕跡はない。〔41°26’39.3″N 140°13’43.1″E〕
今回、渡島吉岡までお伝えした。次回は終点松前駅までご案内する。
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(2016)