【木造3階建】奈良三大遊郭、大和郡山の洞泉寺遊郭と源九郎稲荷神社【妓楼の迫力!】(2)

全国裏探訪取材班は引き続き、奈良・大和郡山市の洞泉寺遊郭を調査している。
前回までは洞泉寺遊郭の前半をお伝えしたので、早速今回は後半をご覧いただきたい。

 洞泉寺遊郭はほかの遊郭にありがちな、住居としての利用価値がなく放置プレイが一般的な気がするが、住居に転用されている事が多いようだ。
こちらの物件も、ポストが配置され、電気工事の看板が掲げられていた。
 前半でもありましたが、重厚で立派な2階建て木造建築。現在は電気工事の
「竹井電工」
の看板が掲げられ、ほかの商売に転用されているようです。
右奥に見えるのぼりが
「源九郎稲荷神社」
の入り口です。
 右が勝手口でしょうか。砂壁の部分少しダメージ受けていますね。さらに見ていきます。
 漆喰が剥がれ落ちていますね。しかし、勝手口にしては電灯の造形や、瓦の意匠が凝っていますね。さすがです。
 この勝手口の右側には
「源九郎稲荷神社」
です。この源九郎稲荷神社は日本三大稲荷に数えられています。
大和大納言豊臣秀長が大和郡山城の鎮守社として当時創建されたようです。
ちなみに、源九郎稲荷神社の
「源九郎」
とはオフィシャルHPにはこうあります・・
「源九郎とは、文楽・歌舞伎の「義経千本桜」に出てくる源九郎狐のこと。 源義経が兄頼朝の討手を逃れて、吉野山に落ちのびたとき、白狐が佐藤忠信に化けて、側室静御前を送り届け、義経と静を守り通すのだった。義経に狐であることを見破られるが、この狐は静が持つ初音の鼓が両親でできていたことから、それを慕って佐藤忠信に化けていたことを話すと、義経は親を慕う狐に同情し、また自分たちを狐の神通力で守り通してくれたことに感謝し、自分の名である「源九郎」をこの狐に与えた。それが社名の由来になったと伝えられている。」
鳥居の奥が遊郭。事実上の門前町に遊郭が立ち並んでいたことになる。宝山寺新地もそうでしたよね。
取材班が源九郎稲荷神社を訪問していた時、偶然宮司さんにお会いし昔のことをお聞きすると「子供の時に(おそらく昭和33年)赤線が廃止されてめっきり人が少なくなった・・当時はこの周辺は人であふれかえってて、とても賑やかだった。」と回想されていました。
 神社内には案内板が残る。神社を後にしさらに洞泉寺町を周ります。
 
 「SANYO 福森テレビサービス」これもだいぶレトロですね。香ばしい!
 酒屋です。まるでジオラマから現実に出てきたかのよう・・・
 まだまだあります。3階建の立派な妓楼。しかも突き当りの建物も立派な3階建がそびえ立っている。
 1階から3階までぎっしり細樅格子で覆われている。細かい格子部分も劣化も少なく現存している。
 2階もこの造形。もちろんこれが3階まで続く。重厚さが周辺の建物と比にならない。
 どうやら今は住宅に転用されているようだ。
西側より物件を見る。後から修復したのだろうか、一面トタンで覆われていた。
この地区は洞泉寺以外に寺院が多い。ここに眠っている遊女もいるのであろうか・・
 1階に車が止まっており残念だがここも木造3階建。銘板によれば、これは登録有形文化財
らしい。大正13年(1924年)に竣工。
 
 本館が木造3階建て。やはりここも細縦格子だ。ちなみに各階ごとに格子の意匠が違うらしい。
 背後には、同時期に建設された奥座敷、納屋・蔵が配置されています。本館と奥座敷をつなぐ部分にはハートの意匠が。これはなかなか良いですね。この暗示加減が逆にお洒落です。この
「旧川本家住宅」
は今現在文化財として管理されており、一般公開もしているようです。
全国裏探訪取材班が行ったときは閉まっていたので、また近くに寄った際は追って取材したいと思います。
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(2017)