【潜伏キリシタン】が眠る「垣内キリシタン墓地」を調査する【弾圧】(4)

全国裏探訪取材班は、長崎県長崎市にきている。キリシタンの墓の文化は読み取れたが、さらに上には唐の文化を彷彿とさせる土神様がお墓と一緒に祀ってあり、貿易の中心地であった長崎独特の文化が読み解くことができた。

異色の文化が混じったこの墓地は西洋の文化だけでなく、中国の文化を混じっていた。確かに鎖国中にも江戸時代は幕府が認めた中国(清)やオランダ、朝鮮や琉球、蝦夷など、日本にとって安全と認められた国とは取引ができた。このような国の文化が仮に入ってきたとしても、中国だと古くから取引があった国であったわけだから、さほど文化が混じったとしても侵略を恐るほどの文化の混じりはなかったのだろう。

長崎の墓地ではまたもう一つ外せない文化がある。お墓の周りの土地が他の地域の墓に比べて非常に広いのである。長崎の文化として墓参りの時墓地でビールを飲んだりとゆっくりする時間を設けている。それだけではない。ここでお盆には花火をする文化もある。

そもそも墓参りの風習として、明るく先祖を歓迎するという考え方から、手持ち花火だけではなく、ロケット花火や打上げ花火、爆竹なども行うのだ。そもそもなぜこういった話があるのかというと、これも中国の文化である。

爆竹などは中国で「魔除け」や「浄化」といった考え方がある。中国では旧暦に爆竹を鳴らして盛大に祝う姿がよくニュースなどで流れるがまさにこの文化を組んでいるのである。

そしてこれに追従して非常に興味深い文化として、彼らは日本式の墓地に中国の文化の「土神」を取り入れ、更に先祖を大事にすべく、隠れキリシタンの墓まで同じ敷地に弔っている。

代々の先祖を弔うという意味で普通に考えれば、当たり前と言えば当たり前だが、宗教や文化、歴史を超えて、ここではキリスト教と仏教、そして儒教や道教のような考え方が一つにまとまり、弔われている。

この地域以外ではなかなか見られない文化の融合である。これも長い歴史の中で溶け合ってきた結果であり、民族的にも交じっていがみ合うような歴史があまりなかった日本だからこそ、この不思議な文化と光景ができたのだろう。

結局のところ、自分たちが今この場に存在していることは遠い昔から先祖が途絶えることない種の保存を命がけでつなぎとめた結果であることは間違いない。そこに宗教の壁、人種の壁、文化の壁などこの地域の人たちにとっては取るに足りないことだったのかもしれない。

 

そう考えると、世界中で今まで起きていたあるいは今起きているような宗教戦争などもっとミクロの話で言えば、財産の相続などは生きている人間のくだらないエゴに過ぎず、そもそも争う双方が平和に生きようとする考え方を持とうとしていないのかもしれない。

人類のここまでの歴史の中で一つ昔から何も変わっていないことは過去は決して変えられない事実の連続である。大事なことはこれから今この世に生を受けている人々がどう生きるかではなかろうか。

どう生きるかなんて、特に今の開かれた時代になっては何歳になっても改め行動することができる。今回のこの墓の文化の融合が教えてくれたように、過去よりも今そして未来をどう生きるか。読者の皆様もぜひ一度考えていただきたい。

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(2021)