全国裏探訪取材班は、長崎県長崎市にきている。禁教期の厳しさを物語るキリシタンの墓を大量に発見した。外から見た時にはただの岩にしか見えないほど、案内板がなければ何を意味するのかわからない場所であった。「垣内キリシタン墓地」その墓が意味するものは・・・
ちなみに長崎の墓地を見ると、御影石の上に十字を切っている墓や教会が多く存在している。これは禁教期後に建てられたもので、隠れキリシタンはそんなにわかりやすくキリシタンとわかるものはほとんど存在しない。
本当に厳しかった時代にひっそりと生き信仰を続けてきた隠れキリシタンの墓である。もちろん倒木は現代のものであるが、倒木ですら隠れるためのツールにしか見えない。
今でもきちんと大事にされている墓もある。無論当時は当たり前だが、このマリア像なんか隠しもっておくことですら、危険であったであろう。死んでしまった彼らは無事天国で彼らに会えたのだろうか。
キリシタンの墓でも非常に興味深いものを見つけた。おわかりいただけるだろうか。なるほど、小さな大人の手ほどの岩石は十字を切るための岩石だったのかもしれない。いびつな形であれば、もちろんバレるわけがないし、普段は石を積み上げ、出どころがわからないお墓として偽装し、必要な時に十字にきって弔うことができるというわけか。
実はこの隠れキリシタンの墓は先程迄見ていた墓はほんの一部であり、上を見上げるとまだまだ墓がたくさんあることに気づく。上に登ってみることにする。
こちらは先程のキリシタンの墓の上に祠が乗っている珍しいお墓である。通常祠というものは神や仏、地蔵などが祀られる場所であるのだが、奇妙な構成になっている。
急に風で扉が空いたのだが、中には戒名が入っていた。
線香でお参りしていることや、戒名が掲げられている点から仏式であることには間違いない。しかしながら、隠れキリシタンの墓の上にわざわざ置くということはつまり意味することは表向きは仏式で奉納され、キリシタンとして埋葬されたとでも言うのだろうか。
どうも昔の石垣のような作り方で墓石を造ったようだ。そのため、別の場所から石をもってきやすいし石を組んでおけば、場所もはっきりわかる。特にこのような作りはお供え物などもバレにくいであろうし、祭壇にも見えなくもない。
この墓石は比較的に大きいが、当時の権力者ないし、功労者の墓だったのだろうか。それにしても先程の墓と同じく、手を広げたほどの大きさの石がやはり乗っている。
ちなみに隠れキリシタン達はキリシタンであることをバレると、禁教期だった当時はただ単純に殺されるのではなく、痛みつけられて殺されたようだ。特に拷問の中でももっとも苦しかった方法として「穴吊り」という手法がある。
穴吊りという手法がどういうものかと言うと、まず1メートルほどの壺のような穴の中に上下逆さに吊すのだが、当然これだけではない。穴の中にわざと汚物を入れてさらに地上で騒がしい音を立て、精神を破壊する。そして吊す際に体をロープのようなものでぐるぐる巻きにして内蔵が下がらないようにする。そうすると頭に血が集まるので、こめかみに小さな穴を開けて血を抜く。徐々に死に至らしめる。
そして精神が蝕んでいった時に何かボロをさらに吐かせるか、そのままその死に様を住民に見せつけ、恐怖を与えたのだ。信仰が故にそんな悲惨な死に方をする恐怖と常に隣合わせだった住民達はさぞかし今でいう身バレが恐ろしかっただろうと想像がつく。「垣内キリシタン墓地」を見て廻るだけでいろいろ考えさせれられる。次回もどうぞ。
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(2021)